隅田川に架かる橋

隅田川

江戸時代以前の利根川は、現在の東京湾に流れ込んでおり、隅田川はこの最下流部の呼名だった。この頃、荒川や入間川は、利根川の支流をなしていた。
徳川家康は、関東平野の河川水系の大改修事業に着手し、利根川は、現在の千葉県銚子で太平洋に流れこむことになり(利根川東遷)、荒川は独立した水系となって(入間川への荒川の瀬替)、東京湾に流れこむことになった。隅田川は、荒川本流の最下流部の呼名になった。
江戸時代の中頃までは、隅田川は「浅草川」と呼ばれていた。荒川下流部は、武蔵の国と下総国との国境にあたり、武蔵側からの呼名が浅草川、下総側からの呼称が隅田川だった。
現在の隅田川は、荒川水系本流の下流部に位置する、一支流として扱われている。荒川本流と分かれる北区岩淵の岩淵水門から下流を指している。
全長23キロメートルの隅田川には、27の道路橋(首都高速道含む)が架けられている。

ここに示す写真は、2011年8月5日に
日の出桟橋から浅草まで隅田川ライン約40分の船の旅の間に撮影したものです
勝鬨橋から東武鉄道伊勢崎線隅田川橋梁間での16の橋を紹介しています
橋のデータや説明は、たくさんのホームページを参考にさせてもらいました
橋長等の数値については、ウィキペディアのデータを優先しました

レインボウブリッジ
橋長:798m  中央径間:570m
幅:49m
高さ:塔高126m、橋げた52m
    (いずれも海面より)
形式: 吊り橋
完成:平成5年(1993)
架設区間:
東京都港区芝浦〜台場間
レインボーブリッジは、東京都港区の芝浦とお台場を結ぶ吊り橋。名前は一般公募により決められたもので、正式名称は「首都高速11号台場線・東京港連絡橋(臨港道路)」。
通行路は上下2層構造になっている。
上層には首都高速11号台場線。下層には中央部に新交通システム・ゆりかもめが、その両側に一般道路東京都道482号台場青海線(車道および歩道)が通っている(鉄道道路併用橋)。
下層の両外側には歩道があり、歩いて渡ることが可能である。



勝鬨橋
全長:246.0m 全幅:22.0m
構造:鋼製 タイドアーチ橋
可動部:シカゴ型双葉跳開橋
固定部:鋼ソリッドリブタイドアーチ橋
完成 :昭和15年(1940)6月
架設区間:中央区築地6丁目
   〜中央区勝どき1丁目(晴海通り)
中央区築地と勝どきの間で、銀座方面から晴海に向う 「晴海通り」 が隅田川を渡る橋。日露戦争の勝利を記念し「勝鬨の渡し」と称したことから由来。
隅田川の最下流の橋で、国内唯一のシカゴ型双葉式跳開橋。中央部約44mが跳ね上がり、最大70度まで左右に大きく開き、大型船が通行できるよう仕掛けがある。
勝鬨橋は、昭和15年に開催を計画していた「東京万博博覧会」の会場の月島への凱旋門として建設された。



佃大橋
全長:220.0m  全幅:25.2m
構造:2スパン鋼製桁橋
完成:昭和39年(1964)
架設区間: 中央区明石町〜
 中央区月島1丁目(新富晴海線)
新富晴海線が隅田川を渡る橋。この橋の創架は東京オリンピックの開催された昭和39年(1964)。
橋名は少し上流にあった「佃の渡し」から付けられている。
大橋と命名したのは、左岸の「佃川」に『佃橋』や『佃小橋』があるためだろうか。
奥に中央大橋の主塔とスカイツリーを見る。



中央大橋
全長:210.7m  全幅:25.0
構造:2スパン連続斜張橋
完成 平成5年(1993)8月
架設区間:中央区新川2丁目〜
    中央区佃2丁目(八重洲通り)
八重洲通りから新川へと続く通りが隅田川を渡る橋。その創架は隅田川の橋梁群の中では新しい。
橋名は中央区のシンボルとして架橋したことから付けられたというが、命名にあたっては、佃地区に 『佃大橋』 があるように、新川地区に『新川大橋』があるべき・・・との異論もあったという。主塔は「兜(かぶと)」をデザインしたもの。



永代橋
全長:184,7m  全幅:25.0m
構造:3スパン・鋼製タイドアーチ橋
    両側は鋼桁橋
完成:大正15年(1926) 12月
架設区間:中央区新川1丁目
    〜江東区永代1丁目(永代通)
創架は元禄11年(1698)、五代将軍 綱吉の50歳を祝して徳川幕府が架橋、末永く代々続くように名付けられた。もとは「深川の渡し」。
当時は 木橋 であったが、その木材は 「上野寛永寺」 本堂造営の余材を使ったと伝えられている。
「西に富士、北に筑波、東に上総、南に箱根」と称されるほど見晴らしの良い場所であったと言われている。



首都高速9号深川線・隅田川大橋
河川部:210.0m   全幅:30.0m
構造:3スパン鋼製桁橋 単純PC桁橋
完成:昭和54年(1979)
架設区間:中央区 日本橋 箱崎町〜
 江東区 佐賀 2丁目 (人形町通り)
隅田川大橋は「人形町通り(水天宮通り)」 が 「隅田川」 を渡る橋。
この橋の創架は昭和54年(1979)、「首都高速道路9号 深川線」 建設のために「隅田川」 を渡る高速用高架橋が必要になり、それに併せて一般道路用の橋も同時に架設されたものである。上下に 2段構造の橋となっており、上段部分が 「首都高速道路」 の高架橋、下段部分が一般道路の、いわゆる 『隅田川大橋』 である。



清洲橋
全長:186.3m 全幅:22.0m
構造:3スパン 自碇式鋼製吊橋
完成 : 昭和3年 (1928)3月
架設区間:中央区日本橋中洲
 〜江東区清澄1丁目(清洲橋通り)
「清洲橋通り」 が 「隅田川」 を渡る橋で、震災復興事業による新設橋である。
橋名は当時の両岸の町名「深川清澄町」と「日本橋中洲町」から命名されている。
もとは「中州の渡し」。
清洲橋は下流側の永代橋と対をなす橋として計画されたという。モデルにしたのは、美橋として有名なドイツのライン川のケルンに架かる「『ビンデンブルグ橋」。



新大橋
全長:170.0m  全幅:24.0m
構造:2スパン連続斜張橋
完成:昭和52年(1976)3月
架設区間:中央区日本橋浜町〜
  江東区新大橋1丁目(新大橋通り)
新大橋通りが隅田川を渡る橋。この橋の創架は元禄6年(1693)。現在地よりやや下流に埋め立て開発の進んだ深川方面と日本橋とを結ぶ橋としてはじめて木の橋が架けられた。両国橋が、その当時「大橋」と呼ばれていたので、その下流に新しく架けられたこの橋を「新大橋」と称した。旧新大橋に比べ、モダンな釣り橋である。旧新大橋の一部は、移設されて明治村に保存されている。



首都高速6・7号向島線道路橋・両国大橋
橋長:329.5m  幅員:2@6.5m
形式:3径間連続鋼床版箱桁、3径間連続鋼床版3箱並列桁、単純活荷重合成桁、門型鋼橋脚
完成:昭和44年(1969)12月
架設区間:
東京都港区芝浦〜台場間区間:
墨田区両国一丁目〜
    中央区日本橋浜町一丁目
両国大橋(りょうごくおおはし)は、隅田川にかかる首都高速道路の橋で、首都高速6号向島線と首都高速7号小松川線の合流地点となる両国ジャンクションを構造体に含む。供用開始は首都高速6号、7号線開通と同じ1971年3月21日。
隅田川端という矮小地を最大限利用するために立体的な構造体となっている。
ワイヤーを使った吊構造で小松川線側の合流レーンを接続するなど、その独創的な構造となっている。



両国橋
全長:164.5m   全幅:24.0m
構造:3径間ゲルバー式鋼製桁橋
完成:昭和7年 (1932)
架設区間:中央区東日本橋2丁目〜  江東区両国1目 (R14・ 京葉道路)
京葉道路(国道14号) が隅田川を渡る橋。両国橋は江戸時代の前期、寛文元年(1661) に幕府によって架橋されたもので、隅田川では千住大橋に次ぐ第ニ番目の橋。両国橋の名は、武蔵と下総との二国を結ぶ橋であるところからこう呼ばれたが、正式の名は、ただ「大橋」だった。この橋が架かったため、本所・深川が江戸の新市街として発展することとなった。東岸には国技館があり、両国は相撲のメッカである。



総武線隅田川橋梁
橋長:172m
完成:昭和7年 (1932)
構造:3径間ゲルバー
      下路式ランガー桁橋
架設区間:両国駅と浅草橋駅の間
総武本線を両国駅から御茶ノ水駅まで延長するために隅田川に架けられた橋。
上部構造は3径間で隅田川を渡り、ゲルバー桁を基本としている。
中央径間にはアーチ部材を組み合わせたランガー桁(桁とアーチの双方で荷重を支える補剛アーチ形式の一つ)し、本橋の外観上の特徴となっている。
日本では本橋に初めて採用された。



蔵前橋
全長:173.2m   全幅:22.0m
構造:3径間上路式
      鋼製ヒンジアーチ橋
完成:昭和2年(1927)11月
架設区間:台東区蔵前1丁目〜
   墨田区横網2丁目(蔵前橋通り)
蔵前橋通りが隅田川を渡る橋。橋の創架は昭和2年、関東大震災の復興計画によるもので、蔵前橋通りの整備に伴なって新たに架設された。
それまではこの辺りに「富士見の渡し」があったが、橋の架設と共に廃止されている。
手前は東西幹線水道橋があり、川下からは、水道橋のしたより蔵前橋を見る。
バルコニーに大相撲をテーマとした透かし彫りがある。



厩橋
全長:151.4m  全幅:22.0m
構造:3径間鋼製
  下路式タイドアーチ橋
完成:昭和4年 (1929)9月
架設区間台東区蔵前2目〜
   墨田区本所1丁目(春日通り)
春日通り(453号本郷亀戸線)が隅田川を渡る橋。それまでこの付近にあった「御厩(おんまい)の渡し」に代わって架設され、「隅田川」 では 第6番目の橋となった。初代の橋は明治7年竣工。長さ511尺(約150m)、幅20尺(約6m)の木橋であったと伝えられる。現在よりも約100mほど下流の位置であった。
隅田川に架かる橋で唯一の3連アーチ橋。橋の欄干には馬を描いたステンドグラスがはめ込まれている。橋のたもとの街路燈にも、馬があしらわれている。



駒形橋
全長:149.6m 全幅:22.0m
構造:3径間鋼製橋
 中央:中路式ソリッドリブタイドアーチ
完成:昭和2年(1927)6月
架設区間:台東区駒形2目〜
   墨田区東駒形1丁目(浅草通り)
上野駅前から東に延びる、東京都道463号上野月島線(浅草通り) が「隅田川 を渡る橋。
その創架は昭和2年(1927)、震災復興事業によって新たに架けられたものである。豊かな曲線を持ったアーチ橋。この辺りには江戸の頃から「駒形の渡し」があったが、橋の完成に伴なって廃止されている。
西岸には、有名な駒形どぜうがある。豊かな曲線を持ったアーチ橋。



吾妻橋
全長:150.0m   全幅:20.0m
構造:3径間
  鋼製ソリッドリブタイドアーチ橋
完成:昭和6年 (1931)
架設区間:台東区雷門2丁目〜
   墨田区吾妻橋1丁目(雷門通り)
浅草雷門の前を走る463号上野月島線吾妻橋支線(雷門通り) が 隅田川 を渡る橋。
もとは、「竹町の渡し」のあったところ。安永3年(1774)、有料の橋がかけられ、「大川橋」と呼ばれたが、のちに吾妻橋と通称された。
初代の吾妻橋は明治20年に鉄製のトラス橋として架けられた。



東武鉄道伊勢崎線隅田川橋梁・花川戸鉄道橋
全長:166m
構造:3径間複線
  中路カンチレバーワーレントラス
完成: 昭和6年(1931)5月
架設区間:東武浅草駅〜業平駅
隅田川に架かる鉄道橋で、東武鉄道伊勢崎線を通している。別名、花川戸鉄道橋とも呼ばれている。
東武が浅草駅まで延長するために隅田川に架けた橋で、隅田川の景観に配慮するためと車窓からの隅田川の景観を考慮して、高いトラス橋にせず架線柱に曲線のデザインが取り入れられた。


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