編集後記集
【メルマガIDN 第139号 080115】

■編集後記 スペインの現代絵画の三巨匠のひとり サルバドール・ダリ
 昨年の9月にスペインのソルソーナで「花展」を終えた後、バロセロナとマドリッドの近くでたくさんの美術館を訪れた。ピカソ、ミロ、グレコ等、個人の美術館へ行ったが、その中でも「ダリ」も印象に残った。
 バロセロナからジローナへ行き、さらにバスで1時間弱、人口3万人ほどの小さな町にダリ劇場美術館がある。さらにバスで1時間ほど行ったカダケスのその先、ひとつ丘を越したフランス国境に近いポルト・リガトに、ダリが年上の妻のガラと住んだダリの家美術館がある。この2箇所へ行ってみることで展覧会や画集で味合うことの出来ない「ダリの世界」を体験することができ、ダリに対する見方が多少変わった。

超現実主義者 サルバドール・ダリ

 サルバドール・ダリは1904年5月、スペイン北東部カタルーニャ地方のフィゲラスで生まれた。ダリの生まれる約9ヶ月前に兄サルバドール・ダリが幼くして死亡している。サルバドール・ダリが生まれると両親は死んだ兄と同じ名前を付けて溺愛した。サルバドールは「救い主」の意味でキリストの別称であることが、ダリの基礎形成に大きな意味を持っている。

 ダリは1929年から1938年に除名されるまでシュルリアリズム(超現実主義)のグループに参加。彼独特の物言いや「パラノイアック・クリティック (偏執狂的・批判的)」な方法、すなわち、以前見た、あるいは見たかもしれないある画像が現れ、取り付いたその画像を批判的まなざしによって解釈する方法、さらにはダブル・イメージなどさまざまな表現によってシュルレアリストの中でも特異な位置を占めた。

 第2次大戦の戦火を逃れてアメリカにわたった彼は、相対性理論や量子物理学、あるいは数学の理論と物の奥に潜んでいる神秘性とを明らかにするような作品を描いた。
 ダリは絵画だけでなく、オブジェ、写真、著作、挿絵、舞台衣装に興味を持ち、多面的な世界を築き優れた作品を残した。
戦後ポルト・リガトに戻ったダリはさらに旺盛な制作活動に励み、ヨーロッパやアメリカだけでなく、日本など、さまざまな国で展覧会を行い、高い評判を得ていった。

 幻覚的表現の領域を開拓し、独自の内面世界を写実的技法によって克明に描き出した、奔放なイマジネーションを精緻な写実的技法によって白昼夢のごとく描き出したダリの作品世界は多くの人々を魅了し続けてきた。

 ダリを語る上で、彼の出生とともに重要な位置を占めているのは、生涯をともにしたガラとの出会いである。二人は1929年夏に出会い、以後ガラはダリの生涯を通じて聖母であり、保護者・支配者・マネージャーであり続けた。1982年にガラがなくなった後は、「人生の舵取りをなくした」といって悲しみ、翌年の5月からは1枚の絵も描かなかったそうである。

 ダリは1989年1月、心不全で84歳の生涯を閉じた。彼の遺骸はフィゲラスのダリ劇場美術館の地下祭室に埋葬されている。

ダリ劇場美術館  Teatro-Museu Dali  
 19世紀半ばにフィゲラス市の劇場として作られた建物を、ダリが改装して1974年に美術館としてオープンした。絵画をはじめオブジェ、彫刻、素描、宝石にいたるまで4000点以上のダリの作品のほか、ダリ自身が収集したエル・グレコなど他の作家の作品も収蔵している。
 屋根の上につけられた卵や、壁に飾られたパンのオブジェなど、建物のデザインにもダリの遊び心が行き届いており、美術館全体が彼の作品と言っても過言ではない。

ダリの家美術館 (Casa-Museo Salvador Dalide Portlligat)
 ポルト・リガトは、フランス国境に近いところにある港町で、イベリア半島で最東端に位置するところ。かつての猟師村に画家が集まって、別荘地になった。ダリは、漁師の家を購入し、最初は、4メートル平方にたりない小屋を居間、食堂、アトリエ、寝室として用いた。後年つぎつぎに隣接した小屋を買い足して、改築と増築を重ね、ダリとガラ好みのインテリヤと庭を創って二人だけの愛の棲家とした。

 ダリの家美術館は1997年に博物館としてオープンした。現在は、見学は予約制になっており、時間ごとに区切って数人の見学者が入館し、ブロックごとに待機している案内の人が説明してくれる。私たちは虔之介さんに通訳してもらいながら、迷路のような階段を登り降りして住居の中の部屋と外部の庭園を見学した。

 家の中は、調度品も含めてダリとガラが住んでいたときとほとんど同じ状態でのこされている。赤いカバーのかかったベッドのある寝室、ベッドから鏡を使って窓をとおして家の前にある入り江を見る見る仕掛け、そのまま残されているアトリエ、壁一面に貼られた二人の写真、たまごのオブジェ、庭に置かれたたくさんの彫刻、庭の池のそばには、木で創られたかわいらしくて長い蛇が置かれている。
 
ダリ劇場美術館(側面)                  ダリの家美術館(全景)
 2006年から2007年にかけて日本でも展覧会が開催されている。2006年9月より上野の森美術館で「生誕100年記念 ダリ回顧展」が、2007年3月より9月にかけて「ダリ展 創造する多面体」が大阪、名古屋、北海道の順で巡回している。わが国の2つの展覧会への観客も多く、わが国にもたくさんのダリのファンがいることがわかる。

 昨年(07年)にはスペインの現代絵画の三巨匠の個別の美術館で作品を見たことになる。ピカソ(1881-1973)、ミロ(1893 - 1983)、ダリ(1904-1989)と並べてみると、ピカソとミロが12歳、ミロとダリが11歳の差で,ほぼ同時代であることがわかる。南部のアンダルシア地方のマラガに生まれたピカソはキュビスムの創始者、カタルーニャ地方のバルセロナに生まれたミロはシュルレアリストといわれているが、他のシュルレアリストの作風とは全く異なり、20世紀美術に独自の地位を確立、ダリはスペイン人である以上にカタルーニャ人であることに価値があると明言し、偏執狂的・批判的な方法や ダブル・イメージなどさまざまな表現によってシュルレアリストの中でも特異な位置を占めた。
 許される短い時間の中で、このように体系立てて彼らの作品を見たわけではないが、スペインの現代画家の三巨匠が与える衝撃の大きさにいまさらながら驚かされる。
参考文献:【小倉忠夫 「作家論 ダリの人と作品」 現代世界美術全集 25 1974年 集英社】 ほか

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