編集後記集
【メルマガIDN 第150号 080701】

龍のコンサート三昧2008 【その3】プラハの春
 2008年5月19日(月)の朝8時過ぎに小雨の中、ウィーンをバスで出発し、第2の訪問地であるチェコのプラハへ向かった。プラハはウィーンの北北西にあり、高速道路を利用して西方のリンツへ行って、そこから北上するルートもあるが、今回は別のルートで田園地帯を走った。田園地帯には菜の花が真っ盛りである。菜種油はバイオ燃料として利用され、国よりの補助が出ており、栽培が盛んになったとのこと。

 10時半頃にオーストリアとチェコの国境をバスで通過。今は国境に何もなく、国境を過ぎたメーゲルベルクというところで両替のためにバスを止める。すぐ近くの小さな居酒屋でトイレタイムと小休止。早速、チェコのピルスナービールを楽しむ人もいた。

プラハへの途中、世界遺産 チェスキー・クロムロフを散策
 メーゲルベルクを出発し、12時少し前に、チェスキー・クロムロフに到着。市街中心部のひろばに面したレストランで昼食をとる。
 チェスキー・クロムロフは、チェコ・南ボヘミア州の小さな都市。クルムロフ城を含む建築物と歴史的な文化財で知られる。町と城の建設は、ボヘミアの重要な通商路であるモルダウ川(ヴルタヴァ川)沿いに13世紀後半に始まった。
 1992年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、現在はドイツ・オーストリアを主とする観光客に人気のある観光地となっている。
 昼食後、現地のガイドさんの案内で旧市街、聖ヴィトー教会、チェスキー・クロムロフ城などを見て回る。
チェスキー・クロムロフ城 お城より見る 旧市街へは橋を渡って入る

 3時過ぎにチェスキー・クルムロフを出発し、6時過ぎにプラハのホテルに到着。成田より一緒している添乗員のSさんが《プラハの春》音楽祭や有名なチェコのビールなどについて説明してくれた。
 バスの中ではSさんが、後に紹介するクーベリックとチェコ・フィルによる《わが祖国》のCDを社内に流してくれた。

一言で語れない、時代に翻弄されたチェコという国
 チェコにおける《プラハの春》ということばには二つの意味がある。ひとつは、1968年の「人の顔をした社会主義」を目差した民主化運動であり、もうひとつが今回の本題である音楽祭。

 通称チェコは、正式にはチェコ共和国といい、首都はプラハ。北はポーランド、東はスロバキア、南はオーストリア、西はドイツと国境を接するヨーロッパ中部の内陸国。ヨーロッパ中部に存在する国は、人種、宗教、政治体制が複雑に絡まって、歴史と現状を正確に理解するのは難しい。

 第一次世界大戦が終結し、オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると1918年にチェコスロヴァキア共和国が誕生する。隣国ドイツにヒトラーが率いるナチス政権が誕生し、1938年に、チェコスロヴァキア共和国は解体される。ドイツが第二次世界大戦に敗北し、チェコスロバキアが独立。1948年には共産主義政権を設立し「人民共和国」となり、1960年には「社会主義共和国」に改名される。

プラハの春》から《ビロード離婚》、そしてEUの一員に
 スターリンの抑圧に対する不満が爆発して、1968年にドプチェクが率いる政権が誕生し、「人の顔をした社会主義」を目差した《プラハの春》と呼ばれる自由化・民主化路線が布かれた。改革に危機を感じたソ連を含むワルシャワ条約機構5カ国の軍が介入、その後、国内の秘密警察網が整備強化されて、旧東ドイツと並んで警察国家となった。

 1989年(ベルリンの壁が崩壊した年)からの「ビロード革命」によって共産党体制は崩壊、1993年1月にチェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離(ビロード離婚)した。そして、2004年5月にチェコは欧州連合に加盟した。

《プラハの春》音楽祭
 《プラハの春 (Prazske jaro)》は、チェコフィルハーモニー創立50周年目にあたる1946年の記念行事として始まった音楽祭。
 1952年には、国民的作曲家スメタナの命日に併せた5月12日に、《我が祖国 (Ma vlast)》で開幕。以降、オープニングコンサートの慣例となり、現在まで踏襲されている。
 閉幕のコンサートは、ベートーヴェンの《第九》で締めくくるというのが慣例となっていたが、それは2003年までのことで、最近はドヴォザークの曲に変わっている。

ラファエル・クーベリック
 1942年からチェコ・フィルの首席指揮者の座についていたクーベリックは、1946年の《プラハの春》の創立にも尽力した。1948年には共産化したチェコからイギリスに亡命し西側で活躍。彼が祖国に戻ったのは、ベルリンの壁が崩壊した翌年のこと。1990年の5月12日、《プラハの春》オープニングで《我が祖国》を振った姿は、世界中に中継され、多くの人々に深い感銘を与えた。
 またこの年には、バーンスタインがベートーベンの《第九》を指揮したこともあり、記念すべき年になった。

小林研一郎が《プラハの春》に登場している
 2002年5月の《プラハの春》オープニングコンサートに、東洋人として初めて小林研一郎が登場。大統領臨席のもと《我が祖国》全曲を演奏し、コンサートの模様は全世界に向け同時放送された。

今年のメニュー
 音楽祭全体のプログラムを購入して今年のメニューを見てみる。初日と2日目に《わが祖国》が演奏されている。初日のチケットは、スポンサーへの割り当てや海外からの旅行客により優先的に確保されて、一般に販売される枚数が少ない。チケットの値段が高騰して土地の人が買うことが出来なくなっている。そのために2日目にも初日と同じ《わが祖国》がプログラムに加えられている。

 音楽祭全体に著名な人とグループの出演は意外に少ない。チェコフィル、サンクト・ペテルブルグフィル(ユーリ・テミルカノフ指揮)、ピアニストのブレンデル(リサイタル)、ヨセフ・スーク(室内楽)、バイオリンの五嶋みどり(リサイタル)、などが目につくところである。

 最終日の演目は、イワン・フィッシャー指揮ブダペスト・フェスティバル・オーケストラにピアニストのアンドラーシュ・シフが登場。《ドボルザークのピアノコンチェルト》と《スラブ舞曲》のほか、ストラビンスキーの《火の鳥》が組まれている。
《プラハの春》の案内板(ヴァーツラフ広場で) 《プラハの春》の全体プログラム 

 プラハに着いたのが、音楽祭は始まった1週間後の5月19日の夕方の6時半ころ。市内のレストランで食事。ピルスナビールと赤ワインに、メインの料理は豚のヒレ肉。プラハには3泊し、翌20日にブレンデルのリサイタル、21日にチェコ・フィルの演奏会が予定されており、期待をこめてプラハの最初の夜を迎えた。【生部】

2008年のプラハでのコンサート関連の写真はこちらをご覧ください。

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