編集後記集
【メルマガIDN 第172号 090601】

■編集後記 柱に龍が彫られている鳥居 

品川神社

品川神社 降龍の頭部


馬橋稲荷神社

馬橋稲荷神社 降龍の頭部



宿鳳山高円寺の稲荷社

宿鳳山高円寺の稲荷社 降龍の頭部



 06年の春から、《龍の謂れとかたち》というホームページを始め、3年が経過した。このページには、龍の謂れやかたちに興味をいだいて、出会った《龍》を紹介しているが、龍に関する雑学を重ねることになった。龍の話題には事欠かないし、思わぬ出会いも多い。
 編集後記の中でもその一端を紹介しているが、今回は、《東京三鳥居》と呼ばれている、柱に龍の彫刻が施されている珍しい鳥居を紹介する。

鳥居
 品川神社、馬橋稲荷神社(阿佐谷)、宿鳳山高円寺境内の稲荷社の石鳥居の柱には昇龍と降龍の彫刻が彫られており、《東京三鳥居》と呼ばれている。

 鳥居の起源は、日本固有のものとする説、外来のものとする説がある。鳥居の語源に関しても《鳥が居やすい、鳥が居る》とするものや、《通り入る》の転化など定説はないようである。
 鳥居は神社の参道の入り口などに建つ一種の門であり、神社の象徴のようになっており、山門と同様、神域と俗域の境界を示すものである。鳥居より内部は神域として神様の住む世界とされ、外側は俗世と考えられている。

鳥居の様式と構造
 鳥居の構造は単純である。2本の柱を立て、その上に笠木(かさぎ)を渡し、その下方に貫(ぬき)を通す。笠木の下に接して島木を渡し、島木と貫の間に額束(がくつか)を設けてそこに額をかける。
 柱の根石を台石、その下に石があれば土台石、台石の上が丸味をおびたものを、亀腹または饅頭という。台石の上の柱の根元を保護する藁座がついたものもある。

 《神明鳥居》は最も素朴な鳥居の様式。2本の垂直の掘立柱と笠木および貫の4本の丸太で作られている。伊勢神宮や靖国神社の鳥居は、《神明鳥居》の様式を守り、形状は単純であるが規模はおおきく、力強いものである。鳥居の様式には《鹿島鳥居・八幡鳥居・明神鳥居・稲荷鳥居》等の種類があり、柱のころび(傾き)、笠木の反増(そりまし)、笠木の下部へ島木の追加などの要素が加わり、多種の様式がある。

 厳島神社の鳥居の様式は《両部鳥居》と呼ばれ、控柱をそえて貫でつなぐので《四脚鳥居》とも言う。また、3本の柱の相互に笠木や貫を渡した形式の《三柱鳥居》と呼ばれるかわった鳥居もある。

 鳥居の材料には、ヒノキ、スギなどの木材のほか石、銅、鉄、陶なども使われるようになり、鉄筋コンクリート造の巨大なものもある。靖国神社の第二鳥居(大鳥居)は青銅製である。

品川神社
 品川神社は、平安時代の末期文治3年(1187年)源頼朝が海上安全を祈願し創始した。徳川家康が関が原の戦いへ出陣の際参拝し戦勝祈願。徳川家光が建立した東海寺の鎮守と定め、《御修復所》となり、幕府が再建・修復を賄う。江戸時代に2度焼失したが、将軍の命により再建。その後老朽化が進み昭和39年(19647年)に現在の社殿が再建された。

 第一京浜に面している鳥居は、明神鳥居の様式であり、大正14年(1925)に奉納されたもの。向かって左側に昇龍が、右側の柱に降龍が彫られている。

馬橋稲荷神社
中 央線の阿佐ヶ谷駅より歩いて10分ほどのところにある馬橋稲荷神社は、正一位足穂稲荷大明神として鎌倉末期の創立といわれる。明治40年に本殿改築後、村内の御岳神社、白山神社、天神社、水神社を合祀された。昭和40年10月の住居表示の改正に伴い、馬橋の地名を保つため神社名を現在の名前に改めた。馬橋稲荷神社は旧馬橋村の鎮守とされ、現在の拝殿は昭和13年の改築されている。

 道路に面して赤い鳥居があり、その先にある鳥居は、明神鳥居の様式であり、昭和7年(1932)に奉納されたもの。向かって左側に昇龍が、右側の柱に降龍が彫られている。

宿鳳山高円寺の稲荷社
 中央線の高円寺駅より歩いて数分のところにある宿鳳山高円寺は、弘治元年(1555年)に中野成願寺三世建室和尚により開山された曹洞宗の寺。本尊は観音菩薩像 阿弥陀如来像(室町期の作)も安置されている。徳川三代将軍家光が鷹狩りの際に休憩所としたことで有名となる。家光公ゆかりのこの寺には葵の紋が所々に見られる。当寺は寛保2年(1742年)から昭和20年まで4度も罹災し、現在の本堂は、昭和28年に再建されたものである。

 宿鳳山高円寺の稲荷社の鳥居は、境内の左奥、本堂の左側にひっそりと立っている。様式は明神鳥居であるが、品川神社や馬橋稲荷神社(阿佐谷)の鳥居に比べるとずいぶん小ぶりである。奉納された時期はわからない。

鳥居の柱に刻まれた龍の意味するところ
 《東京三鳥居》のいずれも、向かって左側の柱に昇龍が、右側の柱に降龍が彫られている。上野東照宮の唐門にある左甚五郎の龍の彫刻の昇龍・降龍の位置も同じであり、左右の位置については決まりがあるように思える。

 鳥居に刻まれた龍は山門における仁王像、獅子、狛犬などと同様に神域を守護する役割を担っている。
 昇龍・降龍は、「上求菩薩(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」という仏教の教義を意味するとされる。上求菩薩とは、上に向かっては悟り(菩提)を求めて厳しい修行に励むこと、下化衆生とは、下に向かっては慈悲を持って衆生を教化して救うことを意味している。これら両方を合わせて修得すべきこととされている。

エピローグ
 《上求菩薩、下化衆生》については、仏教の教義、般若心経の教え、菩提薩?(ぼだいさった)、菩提心など、いくつかのことばとその説明を読んで、そのおおよその意味するところはわかるが、正確に理解できているとは言い難い。

 《東京三鳥居》を実際に見に行って、写真に収めたものをならべて龍のかたちを比較した。阿佐ヶ谷と高円寺の龍はよく似通っているように見え、品川の龍は違うように見える。

 彫刻が施されている珍しい鳥居は、《東京三鳥居》のほかにはないだろうと思っていたが、ネットの中に《宗行天満宮》の鳥居を見つけた。この鳥居は宿鳳山高円寺境内の稲荷社の石鳥居に近く小規模である。この鳥居のある場所は大分県速見郡日出町川崎宗行であり、気楽に見に行けるところではないのが残念である。【生部圭助】

《東京三鳥居》の詳細はこちらでご覧ください

編集後記の目次へ
龍と龍水のTOPへ