編集後記集
【メルマガIDN 第175号 090715】

源氏物語錦織絵巻展を見た 【その2】《柏木三》の絵に源氏の苦悶を見る
 大倉集古館で開催された《天上の織物 山口伊太郎遺作 源氏物語錦織絵巻展(09年4月2日~6月28日)》を見に行った。山口伊太郎が70歳の時に一念発起して、以後三十余年にわたる研究と試作を経て織り上げられた全四巻が一堂に展示された。私が訪れた日は、野中明氏(山口伊太郎の実子)の興味深い話を聞くことも出来た。
 メルマガIDNの先号(174号 09年7月1日発行)では、源氏物語、国宝源氏物語絵巻、源氏物語錦織絵巻の概要について述べた。今回は源氏物語錦織絵巻の中で最も興味をそそられた《柏木三》をとりあげてみたい。

源氏物語錦織絵巻《蓬生(よもぎゅう)》の絵  大倉集古館の入り口正面
興味をそそられたられたシーン 《柏木三》
 源氏物語錦織絵巻展で錦織絵巻の現物を見、会場で錦織絵巻の図集を買い求めた。後日、国宝源氏物語絵巻の原寸大も含めて、19面の絵をじっくりと見た。19面の絵のなかで最も興味をそそられたのは、錦織絵巻では第四巻に収められている《柏木三》である。

 《柏木三》の構図は国宝の絵巻も錦織絵巻もほとんど同じであり、源氏の御子である薫が誕生して五十日(いか)の祝いの光景が描かれている。
 画面は斜めに角度をつけた構図で、邸宅の広がりを見せ、場面の主題となる源氏が薫を抱く姿は画面の左上方によせて描かれている。めぐらした御簾と几帳からは、侍女たちの美しい装束が垣間見え、朱塗りの祝いの膳は、めでたい場の雰囲気を盛り上げている。
 源氏は、浄らかに匂うような薫の顔の寝顔を見ているが、何故かその姿は傾斜している。また、めでたい席であるにもかかわらず、美しい装束を纏う侍女たちは、うちしおれているようにも見える。


源氏と薫の君

源氏物語錦織絵巻 《柏木三》 図の天地(縦):32cm

この絵はどのようなことを語っているのであろうか?
 源氏がわが子として抱いている薫は、実は、源氏の子ではなく、正妻の女三宮と柏木の間に生まれた子である。源氏の兄である朱雀院は娘の女三宮の行く末を心配して、最も頼りになる源氏の妻とするように懇願する。
 源氏は生涯の伴侶として連れ添って大切にしている紫上の手前もあり、気が進まない。しかし、源氏は断りきれずに朱雀院の願いを聞き入れる。女三宮は降嫁し源氏の正妻となり、源氏はそれなりに女三宮を大切に遇する。
 
 柏木は女三宮を垣間見て惹かれ、強引に女三宮に迫り、女三宮は不義の子を身ごもる。柏木父親である頭中将と源氏とは若い頃からの無二の親友である。《雨夜の品定め》で女性談義に興じるところは有名である。そして、成人してからは政敵とは言わないまでもよきライバルとして競ってきた仲である。源氏は柏木をわが子と同じように愛してきた。

 柏木は、犯した罪の深さを悔やみながらも女三宮を慕う気持ちが強い。罪の意識にさいなまれて苦悩が深まり病に伏す。柏木は見舞いに訪れた夕霧(源氏の嫡男であり柏木の従弟)に源氏の怒りをかったことを話し、妻の落葉宮(朱雀院の女二宮)のことを托し、亡くなる。
 
 女三宮は若宮(薫)を出産し、不義の子を産んだことを思い悩み、出家を希望する。源氏も女三宮の父である朱雀院も出家を思い止まるよう説得するが、女三宮の決心は固く、遂に出家してしまう。

 源氏は真実を知りながらも薫を養育し、五十日(いか)の祝いの日を迎へ、柏木に似たところのある薫を抱きながら苦悶する。この頃の源氏はすべての面で絶頂期にありながら、実の子ではない薫のはじめての祝賀を営む源氏のやるせない嘆きをこの絵は表現しているのである。
 
 また、絵には直接表現されていないが、源氏は若き日の藤壺の女御との過ちの報いであるとその因縁におののいている。幼くして母である桐壺更衣をなくした源氏は、父朱雀帝の新しい妃となった、藤壺女御(亡き母桐壺更衣に似たところのある)に惹かれるようになる。そして二人は結ばれて、藤壺は後の冷泉帝を産む。このとき、源氏は18歳で藤壺は23歳。

 源氏は同じく18歳の時に10歳の少女(後の紫上)を見初め、自分の館に引き取り、理想の女性に育てようとする。少女は藤壺の姪にあたり、源氏は少女に思い焦がれる藤壺の面影を見る。

 紫上は源氏に大切に大事にされて過ごすが、女三宮が降嫁し源氏の正妻となったことに対して、心の動揺を隠し平静を装うが、内心つらい思いをする。紫上はこのときはすでに体調は思わしくなく3年後にその生涯を終える。

 源氏は、藤壺の女御との過ちから30年後に報いを受け、因果応報を悟ることになる。この時、源氏は48歳、女三宮は23歳、柏木は33歳、紫上は40歳である。

 晩年の源氏の人生の翳りは、《柏木三》の絵の中で、急勾配な屋台線や不安定な彼の姿態に象徴的にあらわれている。このあと物語は、一気に紫の上の死《御法》から源氏の死《幻・雲隠れ》へと進み、源氏の物語は終わりをむかえる。そして、浄らかに匂うような薫が成人して主人公となる《宇治十帖》へと物語りは進むことになる。

 《柏木三》の絵を見るときに、源氏と薫の一見幸せそうな親子の様子の背後にこれだけのえにしがあることを思い浮かべると、この絵に対する興味はつきるところを知らない。

【参考文献】
 日本美術全集 第9巻(学習研究社 1977年12月初版)
 名宝日本の美術 第10巻 源氏物語絵巻(小学館 1981年5月初版)
 図集 山口伊太郎遺作 源氏物語錦織絵巻展 (山口伊太郎遺作展実行委員2009年4月)
 日経新聞のコラム 明日への話題《蘇れ、西陣》(京都銀行頭取 柏原康夫氏 2009年6月8日)
 IDNふれあい充電講演会 講演内容および資料 (小池秀一氏 2008年9月8日)

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