編集後記集
【メルマガIDN 第180号 091001】

唐津と有田2009 【その1】再び、博多から筑肥線で唐津へ
 私の実家は、《佐賀県小城郡三日月村(現在、小城市三日月町)》と呼ばれた佐賀平野でも山よりの田舎にある。実家に行くときには、近くに佐賀空港もあるが、福岡空港よりバスで佐賀へ行くか、福岡空港より地下鉄で博多に出てJRの特急で佐賀へ行くルートをとるほうが便利である。
 父の十三回忌で帰郷することになり 今回は新幹線で行くことにした。JR博多から一旦地下鉄を利用して、姪浜より筑肥線で唐津へ行き下車、夕方に唐津線で小城に至るルートを取った。最近、大阪へ行く機会があったが、《N700系》の車両に出会うことが出来ず、ゆっくり乗ってみたいと以前から考えていたことが実現した。

新幹線《N700系》に乗った

 初代新幹線《0系》は1964年に開業し、2008年12月のさよなら運転をもって営業運転を終えた。 《N700系≫は、東海道・山陽新幹線の第5世代(九州新幹線の第2世代)の車両として2007年7月より営業運転を開始した。
 従来の《700系》の持つ高いポテンシャルをベースに、高速性、快適性、環境性、省エネルギー性を大きくアップさせ、地球温暖化防止にも貢献するという、JRが自慢の車両である。

 ≪N700系≫の特徴のいくつかを記す。
 《車体傾斜システム》の搭載により最高速度での曲線走行を可能にし、東海道新幹線では、最高速度270km/hを出せる区間が3分の2(従来は3分の1)になった。これにより、東京~新大阪間の所要時間を5分短縮し、2時間36分となった。
 《エアロダブルウイング》と呼ばれる先頭形状は、鳥が羽根を広げたような形をしており、空気抵抗を少なくし、最高時速270kmまでの到達時間が300秒から180秒になった。
 徹底的に空気抵抗を低減させ、《0系》より最高速度を220km/hから270km/hに向上させたが、電力消費量は32%低減され、220km/hで走行とした場合には49%低減させた。

 東京~新大阪間のすべての車両で無線LANの接続を可能にした。各車両に2カ所ずつのアクセスポイントを設置し、各アクセスポイントからのデータを≪移動局≫で集約し、車外向けのアンテナで送受信する。通信速度は、下り(車外から移動局)が最大2Mbps、上り(移動局から車外)が最大1Mbps。これを1編成(16両の合計32カ所のアクセスポイント)の無線LAN利用者全員で分け合う形になっている。

新幹線で博多へ
 2009年9月20日の7時30分発の、のぞみ9号で出発した。シルバーウイークの2日目、車内は混雑しており、自由席は立ち席があるらしく、1~3号車への車内販売のサービスはしない旨のアナウンスがあった。

 会社時代には、週に1回、多いときには2回、大阪の本社へ通ったことがあった。楽しい用件は少なく、会議、予算獲得のお願い、不祥事の説明(言い訳)などが重なり、新幹線は移動のための手段であり、見るのもイヤな時期があった。
 今回は旅を楽しんだ。品川を過ぎ、横浜を過ぎて、社内が落ち着いたところで、新聞を読み、昔のことを振り返っていたら、早起きをしたせいか居眠りをしていたらしい。京都で下車するA・B席のお客さんの気配で目覚めた。
 岡山、広島を過ぎて左側に海を見ていると あっという間に関門海峡をくぐり抜け小倉に停車。小倉を過ぎるとまもなく博多に到着。

 《駅探》での検索によると、東京駅から博多駅までの所要時間は、航空機利用に比べて新幹線のほうが2時間ほど余計にかかる計算になるが、実質は1時間半くらいの差であろうか。


《虹の松原》を列車は走る 列車の運転席より前方を見る
松林の中を走る区間は短い




唐津神社の正面
博多から筑肥線で唐津へ
 JR博多駅で一旦改札を出て地下鉄空港線に乗る。地下鉄空港線で筑肥線の始発駅である姪浜へ行くことになるが、地下鉄空港線は福岡空港からJR博多駅をとおり、姪浜の先の筑前深江駅までが相互直通運転区間となっている。 

 右の車窓に晴天に輝く玄界灘が見えてくると景色が豊かになり、浜崎を過ぎると列車は《虹の松原》にさしかかる。

虹の松原
 《虹の松原》は、幅400~700m、長さ約4Km、総面積約240ヘクタールにわたる、約100万本のクロマツによる松林。
鳥瞰写真参照)

 江戸時代はじめに、時の藩主だった寺沢志摩守廣高が後背地の新田開発などのための防風、防砂、防潮林として植林をしたのが始まり。幕藩時代には、《二里の松原》、《御松原》と呼ばれていたが、明治になってから《虹の松原》と呼ばれるようになったという。

 現在では松原の中央を国道202号線が東西に通っており、車で走るとまさに松のトンネルの中を走る感じを味わうことが出来る。列車が松林の中を走るのは短い区間であり、ほとんどが松林と田園の境界を走っており、右側が松林で左側には田園風景が開けている。

 《虹の松原》は、昭和30年に特別名勝に指定され、昭和58年に《日本の自然百選》、《日本の名勝百選》に、昭和62年には《日本の道百選》にも選ばれ、日本三大松原の一つと言われている。

 松原の陸側に海抜284Mの鏡山がある。春の鏡山からは、みどりの麦畑と菜の花畑が格子状に広がり、その向こうが松原の緑、その先に砂浜の白と紺碧の唐津湾を望む。
 しかし、これは私が若い頃に目に焼きついたすばらしい景色であり、最近では、格子状の中にショッピングセンターなどの《異物》が見られるのは残念である。

 東唐津を過ぎると松原に別れを告げて、列車は海に通じる松浦川を渡り、唐津線に添ってしばらく走り、JR唐津駅に到着する。

唐津神社にお参り
 唐津駅の観光案内で地図などの案内をもらって唐津神社に向かう。シルバーウイークのせいかあまり活気が感じられないアーケード街を抜けて。どうろが交差している地下道をくぐると正面に唐津神社の鳥居が見える。
 由緒によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのが起源。以後の経緯は省略するが、明治6年(1873年)に現在の《唐津神社》に改称し、昭和17年(1942年)に県社に昇格し、昭和22年(1947年)年に宗教法人となっている。唐津神社の霊験としては禍事清祓、海上安全、火伏など。

 唐津神社では、2001年以来再び唐津へ来ることが出来たことを感謝し、旅の無事を祈る。記念にストラップ状の柘植の龍の彫り物(十二支のひとつ)のお守りを買った。

 唐津の最大のお祭り《唐津くんち》は、唐津神社の秋季例大祭で、11月2日から4日にかけて14台の曳山が唐津のまちを練り歩く。曳山については次号に続けたい。

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