編集後記集
【メルマガIDN 第181号 091015】

唐津と有田2009 からつ曳山展示場で14台の曳山を見た
 今回、博多から唐津を迂回して実家のある小城へいったのは、からつ曳山展示場で、龍にちなんだ曳山を見ることが主な目的である。2001年に行ったとき同じように、唐津神社でおまいりをした後、隣にある曳山展示場を訪れた。

唐津くんち
 唐津の豊穣のお祭り《唐津くんち》は、唐津っ子の産土神(うぶすながみ)である唐津神社の秋季例大祭で、11月2日から4日にかけて唐津の町は盛り上がる。
 神輿の御旅所(おたびしょ)への御神幸(ごしんこう 渡御)は、江戸時代の寛文年間に始まったといわれる。昭和43年(1968)からは、本殿祭を10月29日とし、現在は、11月2日夜の《宵曳山」》、11月3日の神輿と曳山が御旅所に向かう《御旅所神幸(おたびしょしんこう)》、11月4日に曳山だけが町内を巡行する《町廻り(まちまわり)》というスケジュールで営まれている。


七番曳山 飛龍


十四番曳山 七宝丸


四番曳山 源 義経の兜


 昭和55年(1980年)には《唐津くんちの曳山行事》が国の重要無形民俗文化財に指定された。福岡市櫛田神社の《博多おくんち》、長崎市諏訪神社の《長崎くんち》とともに日本三大くんちの一つに数えられている。

 400年の歴史がある《唐津くんち》では、巨大な曳山が、笛・太鼓・鉦(かね)の囃子にあわせた曳子たちの「エンヤ、エンヤ」、「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに、14台の曳山が旧城下町を練り歩く。ちなみに「ヨイサ」の掛け声は4番曳山及び14番曳山のみ使われる。

からつ曳山展示場
 からつ曳山展示場が建設されるまでは、曳山は各町内で保管されおり、曳山小屋付近の住人は火事で自分の家が燃えても曳山だけは燃えないように注意したという。曳山展示場には唐津くんちに登場する14台の曳山が常設展示されている。

14台の曳山
 《漆の一閑張り(うるしのいっかんばり)》という技法で製作された曳山は、1番曳山の赤獅子が文政2年(1819)に奉納されて以後、明治9年(1876)の七宝丸までに15台が制作・奉納された。このうち紺屋町の黒獅子が明治中期に消失したため、現存は14台となっている。

 14の曳山の名称は順に以下のとおり。赤獅子・青獅子・亀と浦島太郎・九郎判官源義経の兜・鯛・鳳凰丸・飛龍・金獅子・武田信玄の兜・上杉謙信の兜・酒呑童子と源頼光の兜・珠取獅子・鯱・七宝丸。

 重さは2~5トンもあり、各町が莫大な費用をつぎ込み、2~3年がかりで作った。現代の制作費に換算すると1~2億円するとも言われている。

 漆の一閑張とは、本体を木組みにし、粘土の原型や木型の上に和紙を数百枚貼り重ね、麻布等を張って漆を塗り重ね、金銀を施して仕上げたもの。
 豪華な漆の工芸品の14台の曳山は、昭和33年(1958)に佐賀県の重要有形民俗文化財に指定された。

七番曳山 飛龍~南禅寺の障壁画の飛龍をモデルにして造られた~
 新町は旧唐津城下の町で、初めは下級武士の町だったが、職人が多く住むようになり、町人の町になった。新町の《飛龍》が製作されたのは弘化3年(1846)。南禅寺の障壁画に描かれている飛龍をモデルにして造ることを思いついたという。

 原形の細工は陶工の中里守衛重廣(九代太郎右衛門)、中里重造政之の兄弟があたり、山笠の大工棟梁は魚屋町の太吉と同町の鹿造が行っている。塗師は筑後久留米榎津町の中島良吉春近と原利八家次、中島小兵衛春幸が担当している。
 《飛龍》は、中国の伝説に描かれ、鳳・亀・麒と共に四霊として神聖視されている想像上の動物である龍を模した曳山。龍が天へ駆け上るがごとく上下へ動かすことがでる可動性があるつくりになっている。
 曳山のサイズ:総高は6.8M、総幅2.2M、重さ1.75トン 

十四番曳山 七宝丸~龍頭が特徴的な船形の曳山~
 江川町は唐津城下の17カ町の一つで、築城時は武士が移住する組屋敷だった。十四番曳山の七宝丸(しちほうまる)は、明治9年(1876)に細工人・宮崎和助、塗師・須賀仲三郎、大工棟梁・田中市次正信らによってつくられた。江川町が七宝丸を製作した理由は、曳山の製作関係者が大石町在住であったため、大石町の対の船としたためと言われている。

 途中《蛇宝丸》と呼んでいた《七宝丸》は、七つの宝を積んだ宝船を模して作られ、迫力のある龍頭が特徴的な船形の曳山。七つの宝とは、宝珠、軍配、打出の小槌、隠れ蓑、宝袋、勾玉、一対の巻物を指す。軍配と打出の小槌等は取り外された状態で町を巡行する。
 曳山のサイズ:総高6.3M、幅2.2M、奥行3.2M、重さ3.0トン

四番曳山 源 義経の兜~兜に黄金の龍の彫刻が取り付けられている~
 四番曳山である呉服町の《源義経の兜》は、天保15年(1844)9月に獅子細工人・石崎八右衛門、脇山舛太郎、塗師・脇山卯太郎、大工佛師・庭吉、白井久介、永田勇吉、諸金物師・房右エ門らによって製作された。
 兜の作製については、当時町内にあった具足屋が精巧に作っており、本物の兜と同様に、シコロなどが一つ一つ手作りで作られている。
 曳山のサイズ:総高約6.1M、総幅2.8M、奥行き4.7M、重さ約1.6~1.8トン

唐津神祭行列図
展示場内の左側の壁面には《唐津神祭行列図》が展示されている。元は襖絵として描かれたもので、一幅は、縦2.17M、横0.99Mで、7枚続きの大幅。図柄は、15台の曳山と曳子のほか、みこし行列、奉納相撲、侍、町人、物売りなど1600余の人物が表情豊かに描かれている。藩制末期の風俗画として当時の神祭行事を知るうえからも貴重な民族資料である。

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