龍のコンサート三昧2010
【メルマガIDN編集後記 第199号 100801】

龍のコンサート三昧2010 【その9】アムステルダムとデン・ハーグではコンサート以外でも盛りだくさん
 2010年3月15日の11時頃ベルリンのテーゲル空港を出発し、今回の最後の訪問地であるアムステルダムのスキポール空港に12時半頃に到着した。迎えのバスに乗り、小雨の中を15分ほどで市内に到着。バスで市内の要所を車窓より案内してもらい、3時過ぎにホテルへ到着しチェックインした。

国立ミュージアム アプローチ


レンブラントの家  入り口


レンブラントのエッチング  自画像

マウリッツハイス美術館  外観


国立ゴッホ美術館 ロビーより1階展示場を見る


街なかにあったゴーギャン展の案内


マヘレの跳ね橋を水上より見る
アムステルダム
 アムステルダムは、オランダの北ホラント州の基礎自治体(ヘメーンテ)であり、憲法上に規定されたオランダの首都である。しかし、アムステルダムは商業および観光が中心であり、政府、中央官庁、国会、王室など首都機能の殆どはデン・ハーグにある。
 元々は小さな漁村だったが、13紀にアムステル川の河口にダムを築き、町が築かれたのがアムステルダムの発祥。16世紀には海運貿易の港町として、ヨーロッパ屈指の都市へと発展した。現在の都市圏の人口は200万人強である。

国立ミュージアムのレンブラントとフェルメール

 3月16日は、9時にホテルを出発し、まず国立ミュージアムへ行った。国立ミュージアムは1885年に開館したオランダ最大のミュージアム。設計者は中央駅と同じペトルス・カイパースとのこと。
 しかし、2003年より長期改装期間のため、公開されているゾーンは限られていた。

 ここでは、レンブラントの《夜警》が有名であるが、自画像など多数の作品が展示されている。また、出稼ぎが多い、フェルメールの当館所蔵の4点もすべてが里帰りしており、《牛乳を注ぐ女》、《手紙を読む女》、《小路》、《恋文》などの有名な作品をゆっくりと見ることが出来た。(3月16日AM)

レンブラントの家:レンブラントが33歳のときから20年間住んだ
 国立ミュージアムを後にして、レンブラントの家へ行った。この建物は1606年に建設されたもので、レンブラントが1639年(33歳のとき)から20年間ここに住んだ。レンブラントが破産し、1658年にこの家は競売に出され人手に渡った。
 レンブラントハウス財団が1907年に設立され、1911年にミュージアムとして公開されている。

 内部は、レンブラントが住んでいた当時の様子が再現されている。アトリエも当時のままに、レンブラントがエッチングに使用していた道具類や木製のプレス機も展示されている。
 レンブラントハウスの新館には、レンブラントの自画像なども含む250点を超えるエッチングやスケッチが展示されている。(3月16日AM)

デン・ハーグのマウリッツハイス美術館でフェルメールを見る
 3月17日は忙しく、充実した日となった。8時半にホテルを出発し、トラムで中央駅へ行く。チケットを買って、9:11発の列車でデン・ハーグへ向かい、10:02分にデン・ハーグ中央駅に到着。

 デン・ハーグは北海に面するオランダ第3の都市。国会議事堂をはじめとする政府機関、各国の大使館もあるオランダの政治の中心地。また、ベアトリックス女王の宮殿もあり、《ロイヤルシティ》とも呼ばれている。
 マウリッツハイス美術館はビネンホフの一角にあり、ブラジル総督である伯爵の私邸として建てられた建物。17世紀のオランダ・フランドル絵画が展示されており、3階にある、レンブラント室では《チュルプ博士の解剖学講義》や《自画像》など、フェルメール室では《真珠の耳飾りの少女》のほか《デルフトの眺望》、《ディアナとニンフたち》をゆっくり見ることができた。

 美術館で軽食をすまし、ビネンホフの中を抜けて、池の周りを歩き、再びマウリッツハイス美術館の場所に戻り、商店街を歩いて中央駅へ戻った。13:58発の列車でアムステルダムへ戻った。(3月17日AM)

国立ゴッホ美術館はゴッホの宝庫
 デン・ハーグから戻って、ホテルで小休止をしたあと、国立ゴッホ美術館へ行った。ゴッホ美術館は1973年にオープンし、ゴッホの油彩200点以上、デッサン500点あまり、スケッチブック4冊、ゴッホの書簡800通が美術館の所蔵となっている。

 また、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ絵画として、モネ、カイユポット、ロートレック、ゴーギャン、スーラ、シニャック、ピサロ、ルドンなどの作品も多数所蔵している。また、ゴッホとテオ(ゴッホの弟)が収集した浮世絵なども所蔵している。

 ゴッホは1853年3月に生まれている。ゴッホが本格的に絵を描き始めたのは1881年頃で、ゴッホがピストルで自殺を図ったのが1890年4月のこと、この間はわずか10年間しかない。
 ゴッホ美術館ではこの10年間を、オランダ時代(1881~)、アントワープ・パリ時代(1885~)、アルル時代(1888~)、サン・レミ時代(1889~)、オーヴェール・シュル・オワーズ時代(1890~)に区分して展示してあり、日本語のオーディオガイドを聞きながら見ていると、ゴッホが短い間に変わっていった環境と絵の特徴をよく理解することが出来る。
 また、ゴッホと同年代の画家たちの作品も展示されており、ゴッホの作品が制作された時代背景も知ることが出来る。(3月17日AM)

国立ゴッホ美術館でゴーギャン展を見る
 アムステルダムの街を移動中にゴーギャンの自画像が描かれた案内パネルが目に付いた。内容を良く見ると、ゴッホ美術館で2月19日より6月6日まで《The BREAKTHROUGH INTO MODERNITY》題するゴーギャン展が開催されると読めた。

 ゴッホ美術館のロビーからエスカレーターに向かうと正面に大きな案内パネルがあり、エスカレーターを降りて左に曲がると、新館へつながる広い通路があり、ゴーギャンが生きた時代のパリをイメージする大きなパネルが展示されている。その奥に展覧会の基本コンセプトを示す展示スペースがあり、その奥にゴーギャンの作品をたくさん展示してあるスペースがあった。

 ゴーギャンがタヒチに出かけたのが1891年のこと。展覧会では、タヒチに出かる以前の時代の作品が多数展示されており、ゴーギャンの展覧会としては珍しいコンセプトだと思う。
 なお、ゴーギャン展が開催されていた新館は、ゴッホ美術館が主宰する特別展会場として利用されているものであり、黒川紀章が設計し、1999年6月にオープンしている。(3月17日AM)

運河クルーズ
 アムステルダムは《北のベニス》とも呼ばれ、大小165の運河と1300あまりの橋があるという。中央駅のそばの発着所から出発し、北海運河に出て駅の裏側を通って線路をくぐって内陸の運河に入る。運河沿いには17世紀の豪商の邸宅が立ち並び、教会やレンガ造りの建物など水上から町並みを眺めた。また、昔は深刻な住宅不足の解消策だった水上住居も、いまでは、新しい居住スタイルとして関心があり、所有するにはコスト負担も大きいとのこと。
 17世紀につくられた木製の跳ね橋《マヘレの跳ね橋》を水上より見て、運河をめぐりの最後は、プリンセン運河を通って西教会(17世紀に造られたプロテスタントの教会)を右前方に見て、中央駅のそばの出発したところに戻った。所要時間は約1時間。日本語のテープが流された(3月16日AM)

エピローグ
 アムステルダムに到着した3月15日に、現地でチケットを購入し、3月16日に《マタイ受難曲》のコンサートにいった。3月17日にロイヤル・コンセルトへボーのコンサートを聴きにいった。これらのお話は次回に続けることにする。

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