徳島の阿波木偶人形会館へ行った
【メルマガIDN編集後記 第206号 101115】


阿波木偶人形会館のリーフレットの表紙


阿波木偶人形会館入口(夕暮れ時)


人形 健さんの説明 【リーフレットより】
今回はひとりで一宇元同じ説明を聞かせてもらった


受付の女性が記念写真を撮ってくれた

  
一の谷軍記の熊谷直実と妻の相模 天狗久作
【徳島空港のラウンジに展示されていた 頭部のみを撮影】

 日曜日に用があり、2010年11月6日(土)の午後に徳島に行き、眉山のふもとにある寺町界隈を散策してから、阿波木偶(でこ)人形会館へ行った。
 江戸時代より阿波・徳島において人形浄瑠璃が隆盛して以来、木偶人形の造形美と、大夫、三味線、人形遣いらが織りなす芸能が民衆の娯楽として人気を博してきた。

人形浄瑠璃の歴史 
《阿波人形浄瑠璃の世界》より要約
 人形を動かしながら物語を語るという形式は、東北地方のイタコが祭文を唱えながらオシラ神(養蚕の神)を遊ばせる作法に、その源流を求めることができる。人形を動かして庶民の慰みとしたのは平安時代の漂泊の民・傀儡師が始まりで、室町時代には街頭で人形を使った。

 室町末期の永禄年間(1558~70)には、琉球から渡来した三味線が伴奏として採りいれられた。安土桃山時代から江戸時代初期の慶長年間(1596~1615)に、西宮の傀儡師と結びついて小屋をつくり、人形浄瑠璃芝居を興行するようになった。

 やがて竹本義太夫による義太夫浄瑠璃が大坂(現在の大阪)で流行すると全国に広まり、江戸時代民衆の大きな娯楽となった。享保年間(1716~36)は人形の改良が画期的に進み、語りに合わせて人形の目や口が開閉し、五指が動いたり、目が動いたりするからくりが出現し、その目新しさで客の目をひいた。また、一体の人形を3人で遣う、三人遣い義太夫節も案出された。

阿波の人形浄瑠璃
 阿波に人形浄瑠璃が伝わったのは、慶長年間に淡路から伝わったといわれている。阿波では農村舞台が発達し、300棟もあった。昭和60年の調査でも130棟余りが確認されている。

 大正中期の活動写真、幻灯、のぞきからくり、昭和期の映画、漫才・落語などの登場により、人形浄瑠璃は衰退する。さらに戦争により、多くの座は解散へと追いやられた。しかし戦後、昭和21年に阿波人形浄瑠璃振興会が結成され、県下の太夫、三味線、人形座、人形師が結集し、伝統ある《阿波の人形浄瑠璃》が復活した。

阿波木偶(でこ)人形会館
 阿波木偶人形会館は、徳島市内より北に行って吉野川大橋を渡ってから川沿いに下流へ下ったところ(徳島市川内町)にある浄瑠璃人形の総合展示場。

 阿波木偶人形会館は1985年 2月にオープンし、2006年 4月に開館21年をむかえ、入館者数30万人を数えた。
 ここには、人形浄瑠璃の主役である木偶人形の人形師、人形 健の作品約100体が展示され、世界最大の人形頭も展示されている。また、木偶人形の販売、修理、修復なども行っている。
 当館の入場者に対しては、人形頭の制作課程の説明、人形頭のカラクリの仕掛などを説明してくれる。

 すぐ近くには、板東十郎兵衛の屋敷跡である阿波十郎兵衛屋敷があり、農村舞台風の建物で人形浄瑠璃を鑑賞できる。

人形 健の三代がそろって伝統的な阿波人形制作を目指す
 阿波木偶人形会館の主は初代の人形 健さん。人形 健さんの本名は多田健二といい、1932年3月に生まれた。1964年3月に3代目天狗久門人小松正利氏の門に入り、伝統的な阿波人形制作を始めた。以来、100体以上の作品を生み出しており、2004年11月には、徳島県卓越技能者「阿波の名工」として、徳島県知事より表彰を受けた。
 伝統的な阿波人形の継承は、制作の技術的な面のむつかしさ、人形の役の上での約束事もたくさんあって一朝一夕には会得できないものがある。そんな中で、2代目の人形 健さんが活動している。二代目人形 健こと多田弘信さんは、1960年12月の生まれ。工業高等学校を卒業したあと徳島市内の会社に就職したが、1982年に退社し、人形制作を学ぶ。
 二代目人形 健さんの娘婿の多田悠気さん(24)が、人形師を目指して修業している。悠気さんは「一日も早く三代そろって個展を開きたい」と、毎日、のみを片手に木偶(でこ)の頭を彫り続けている。
 初代の人形 健さんは、「まともに頭が彫れるようになるには最低十年はかかる。人形師の技を後世に残すためにも、若い後継者を長い目で育てたい」と話す。

初代の人形 健さんの話を聞く
 私が入館した時は4時半ちかくなっていた。初代の人形 健さんが、説明をするけど時間はあるかと尋ねてくれ、是非とお願いして、一人で最前列の真ん中に座って説明を聞いた。写真撮影の禁止の表示があり、メモの準備をしたら、メモも許さないとのこと。多人数に対するのと同じ説明をしてくれた。

 人形頭の制作課程については、予想しなかった大きいサイズの原木から外形を彫って、そのあと内部をくり抜く工程を説明。最後の仕上げには、牡蠣の殻をすりつぶして、漆で溶いて、30回の塗りをくり返すという。
 人形頭のカラクリの仕掛については、人形の顔の部位の動き、目・眉・口など人形の操り方を説明してくれた。カラクリの仕掛の中でバネを使うところには、鯨のひげが使われているそうで、展示のウインドウの中にもその現物を見ることができた。

 人形頭は本来静止した状態で鑑賞するものではなく、上演の姿を見るもので、頭は役柄や性格を明確に示す必要があり、頭の表情は大げさで極端になる。
 女の頭を女形(おやま)と呼び、既婚・未婚で区別し、中年までは老女形、老年は婆。本来、女形は目が動く程度で、男頭ほど深刻な表情はとらないが、美しい娘の顔が急に口が耳まで裂け、真っ赤な口に金色の歯が光り、目玉がひっくり返って金目となり、髪の中から二本角を出すという頭の実演もしてくれた。

エピローグ
 新しい徳島空港は旧空港より先の海に面したところに作られている。2010年4月より2,500mの滑走路が使用され、新旅客ターミナルビルも愛称《徳島阿波おどり空港》として供用開始されている。
 滑走路に着陸してから、バスで市内の中心まで行くのに予想以上に時間がかかった。早起きをさぼり、時間が足りなくなったことを反省したが後の祭り。
 阿波木偶人形会館には40分ほどしかいなかったが、初代の人形 健さんの説明を聞き、展示されている人形を見た。文楽の人形は舞台でよく見たが、ここでは身近に、頭や衣装を着けた、文楽でもなじみの名前の人形をたくさん見た。記念撮影をしてもらった時には、人形の右手も動かしてみて、《主遣い》の感触を味わうこともできた。

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