カナダの北極圏の島のイヌイットの版画
【メルマガIDN編集後記 第215号 110401】

 《旅する版画:イヌイットの版画のはじまりと日本》が、2011年1月21日から 3月15日まで、カナダ大使館高円宮記念ギャラリーで開催された。カナダの北極圏の島にある小さな町ケープドーセットの版画工房で初期(1950年代後半から1960年代前半)に制作された作品と、この時期に日本がイヌイットの版画に与えた影響に焦点を当てて紹介する展覧会である。初期から近年までのイヌイット版画49点や版画を制作するための道具などが展示された。


01 三匹のトナカイ 1957年 ニヴィアシ
ストーンカット 初期の作品


16 猛吹雪を予告する鳥 1959年 トゥドリク
ストーンカット 青いインクをグラスに塗り紙に移した


19 女性と楽器 1959年 ジョセフ・ブートゥーグック
ストーンカット ルッカ・シアックによる刷り



33 フクロウ、狐、野うさぎの伝説 1959年 オイストク・イビ-リー
日本の合羽刷りの技法を基にしたステンシル



48 サーフェシング 2005年 ニンジェオクルク・ティーヴィー
ストーンカット 生漉楮紙(きずきこうぞかみ)


現地のアーティストが製作・使用した初期の版画道具
1950年代後半)
ジェームズ・ヒューストンが日本との懸け橋となった
 極北の民イヌイットの版画の誕生には、半世紀前の日本の版画家らが深くかかわっていた。この展覧会は、これまで知られていなかった日本とイヌイットの縁を紹介するために、カナダ文明博物館(英・仏)によって制作された。

 50年ほど前、カナダの北極地方にある小さな町ケープドーセットに、日本の伝統的な版画技術が初めて持ち込まれた。1957年に当時カナダ政府職員で画家のジェームズ・ヒューストンが、イヌイットが収入を得るための手段になることを期待して、この地の人々に版画制作の方法を紹介した。

 翌1958年11月に、ヒューストンは版画技術についてより深く知るために来日し、棟方志功の師でもあり、当時版画家アーティストとして注目を集めていた平塚運一のもとで木版画を3ヶ月間学んだ。
 筆と鉛筆を手に、ヒューストンは日本国内を精力的に旅し、日本のアーティストや工芸技術者に接触した。来日中に、民芸運動の思想家・柳宗悦らと交わり、彼らが支持したアイヌ文化を北海道に訪ねた。

 1959年1月に北極地方に戻り、彼は版画制作を始めたケープドーセットの人々に日本で集めたたくさんの版画を見せ、習得した技術を伝え、イヌイット居住地での担い手を育成した。そして、イヌイットが狩猟のほかに収入を得る手段として版画が根づくことになった。

 以来今日まで、イヌイットの版画家は、自らの創造性を表現し、自分たちの歴史と文化を記録するための手段として版画制作を続けている。現在では、彼らの作品は国際的に高く評価され、経済的な生活支援としても成功を収めている。

イヌイット版画の特徴
 1950年代のイヌイットの生活は、変化の連続だった。今までのキャンプでの生活から定住生活を始め、仕事を探し、公共サービスを利用するようになった。この過程で、版画は生活を支えるためであり、また自分たちの過去を記憶するものでもあった。このような時期に、ジェームズ・ヒューストンにより日本の版画の技術がもたらされた。

 本展覧会では、イヌイットの版画と日本の版画との出会いと、そこから生み出された作品に光を当て、ケープドーセットにおける初期の作品や、1959年にヒューストンが現地に持ち帰った、平塚運一や棟方志功をはじめとする日本人版画家の作品などのオリジナル版画49点が紹介されている。
 展示される日本人作家の作品はいずれも、カナンギナク・プートゥーグック、ルッカ・シアツクといったイヌイットのアーティストに影響を与えた貴重なもの。

 本展覧会では、これらの作品を並べて展示し、ケープドーセットのアーティストがそれぞれの創造性を生かして、日本の影響を取り入れていったことを明らかにすることを狙っている。
 和紙の使用や落款に似た《スタンプ》、浮世絵から学んだ彫る人と刷る人の分業システム、イヌイットの拓本、平塚運一の影響を受けた力強い単色刷りの石版画、日本の《合羽刷り》技法を基にしたステンシル版画など、イヌイットのアーティストが制作した作品を楽しむことができる。

 イヌイットは、石や骨に絵や文様を彫っていたが《芸術》と認識していなかった。ジェームズ・ヒューストンが日本で習得したのは木版画技術だったが、木が貴重品のケープドーセットでは、石版画が発達。イヌイットの神話や歴史、北極圏の動物に材をとった作品が生み出された。なお、近年は美大を出て、抽象表現を試みる若い版画家も増えているという。古い時代の民族芸術が今日まで引き継がれている。

イヌイットの初期の版画道具
 展示では版画家の作品など49点のほか、石版や、ヒューストンがケープドーセットの人々に紹介した日本の道具にヒントを得て、1950年代後半に現地のアーティストが製作・使用した初期の版画道具なども併せて展示されている。
 北極熊の毛でハケ、アザラシの皮でバレンを作った。イヌイットでは、ストーンカット(石彫り)版画が中心であり、バレン代わりにスプーンの腹を用いたという。

イヌイットの版画には和紙が使われている
 ケープドーセットの人たちは、50年以上にわたり日本の手漉き和紙を使用している。イヌイットが日本和紙を使用したことが、半世紀にわたり日本和紙の発展に貢献しており、また、希少になっている日本の和紙作りの伝統をサポートしている。
 イヌイット芸術の中心地であるケープドーセットで版画制作が始まった当初、使用される和紙の多くは土佐和紙が占めていたとのこと。半世紀が経った現在、土佐和紙は原料の生産者や紙漉き職人の減少などにより、数ある産地の中の一つになっている。

パネルディスカッション
 私は参加できなかったが、展覧会初日にパネルディスカッションが行われている。ブログなどからその内容を拾ってみる。

 パネルディスカッションはカナダ文明博物館のキュレーターや研究者、工房で働くイヌイットの職人等の間で主にテクニカルな話題が中心となり進行した。
 神話を含むコミュニティーの物語を版画という手段で人々に伝える重要性についてイヌイットの職人さんへの問に、経済的なことが一番重要という答えが返ってきた。
 カナダ文明博物館のノーマン・ヴォラノ学芸員は「最近は現代的な生活様式を描く版画家もいる」と話した。
 日本から最も影響を受けたのが分業体制。版画家のシー・プートゥーグークさんは「図案制作から刷りまで多くの人が携わり、経済的にも、コミュニティーの継承にとっても重要だ」と語った。

イヌイット芸術の企画展や出版

 イヌイットアート・ジャパンは、北極の先住民であるイヌイット芸術の彫刻、版画などの紹介、販売を目的に、1992年、牧神画廊内の一組織として設立された。現在、所蔵コレクションをベースにした《極北の愛と神秘・白クマとイヌイットアートの世界展》を企画立案中。

 日本の民族学や美術の専門家がカナダ先住民版画を紹介した『極北と森林の記憶』(昭和堂)も刊行されている。

エピローグ
 本展覧会に関する説明には、カナダ大使館のホームページ、新聞3紙(朝日・読売・産経)の案内記事、展覧会を見た何人かのブログを参考にした。

 イヌイットの初期の作品には、素朴な中に暖かみや懐かしさを感じる。また、洗練された構図や色使いには感心させられる。また、特徴である大胆で力強い表現にもイヌイットのバイタリティを感じる。1959年の作品《猛吹雪を予告する鳥》には、ピカソの《青》を感じたのは私だけだろうか。

 本展覧会で出展された49手の中より私が気に入った15点(日本の作家を除く)をもとに《サイバーギャラリー・イヌイット》を作った。各作品には、会場に置いてあった《作品に関する注解ガイド》による説明も要約して記した。なお、作品の色の再現と作品の大きさは完璧でないことをお断りしておきたい。【生部 圭助】

《サイバーギャラリー・イヌイット》はこちらよりご覧ください
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