東京国立博物館で《特別展 写楽》を見た

【メルマガIDN編集後記 第219号 110601】

 地震で開催が延期されていた《特別展 写楽(2011年5月1日~6月12日)》を東京国立博物館の平成館で見た。以前にも写楽のブームがあり、写楽の謎解きに熱心な時があったそうだが、このところも写楽のブームであろうか。
 2009年には、江戸東京博物館で、ギリシャに眠る写楽の幻の肉筆画が展示され、2010年のサントリー美術館の《歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎展》では写楽の江戸歌舞伎の世界が展示され、山種美術館(2011年2月26日~4月17日)には、ボストン美術館の浮世絵の名品が里帰りし、現在は、千葉市立美術館(4月26日~6月5日)へ巡回している。
 テレビの放送も豊富である。NHKで、《写楽の正体を追う》番組と2つの《知られざる在外秘宝》で写楽を取り上げた番組が放映された。写楽を実際に見る機会も多く、写楽についての知識も豊富になり、写楽への興味は尽きない。



東京国立博物館の平成館


《特別展 写楽》のちらし 日程変更後の版


三代目大谷鬼次の江戸兵衛

市川鰕蔵の竹村定之進


三代目瀬川菊乃丞のおしず

二代目沢村淀五郎の川連法眼
初代坂東善次の鬼佐渡坊
【写真はすべてチラシより複写した】


講談社文庫は1986年に一刷りが発行されている

東洲斎写楽
 東洲齋寫樂は、江戸時代中期の1794年(寛政6年)から翌年にかけての10カ月程度の期間に、140点を超える錦絵を出版した後、突如として姿を消した浮世絵師。
 1910年、ドイツの美術研究家ユリウス・クルトは、写楽研究書『SHARAKU』の中で、写楽をレンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家として絶賛したことが端緒となり、日本でも評価されるようになった。

 写楽の作品で現存するものは、役者絵134枚、役者追善絵2枚、相撲絵7枚、武者絵2枚、恵比寿絵1枚、役者版下絵9枚、相撲版下絵10枚といわれている。
 写楽には多くの謎が存在し、議論が尽きない。写楽とはだれか(本名、出生地、生没年等)。歌川豊国、葛飾北斎、喜多川歌麿、司馬江漢、谷文晁、円山応挙、山東京伝、十返舎一九などの別人が写楽の筆名で制作したのではないかとの《別人変名説》、など盛んに取りざたされている。
 約10カ月しか活動期間がなかったのは何故か、版元の蔦屋重三郎が無名の新人の作品をまとめて数多く出版したのは何故か、第1期から第4期にわたって作品の傾向と質が大きく異なるのは何故か、突如姿を消した後の行方など。これらの《何故》を意識して写楽を見ると、写楽に対する興味が増すのも確かである。

東京国立博物館の《特別展 写楽》
 《特別展 写楽》では、写楽作とされてきた版画の全146図のうち142図(所有者や刷りの違うものを含め約170枚)が、写楽以外の作品も含むと、展示総数287点が展示されている。(写楽の残りの4図は小さな写真が展示されていた)。
 平成館の第1室、第2室を使って行われる展示は、役者絵の歴史をたどり、歌麿や北斎の作品も加え、写楽の個人にとどまらず、幅広い内容を盛り込んで、以下の5つの章に分けて構成されている。

 第1章のテーマは、写楽以前の役者絵。写楽が登場した背景が紹介されている。ここでは、菱川師宣の≪歌舞伎図屏風≫と作者不明(文化庁所蔵)の≪歌舞伎遊楽図屏風≫も展示されている。

 第2章のテーマは蔦屋重三郎。蔦重は浮世絵版元であるが、美人絵師の喜多川歌麿・役者絵師の写楽、戯作の山東京伝など江戸文化を彩るスターのプロデューサーとして活躍した。蔦重が写楽である、との説もある。

 第3章は、今回の展覧会の中心となる位置づけであり、写楽の第一期から四期までの作品の全貌を見ることができる。

 一期の作品は、写楽のデビュー作28図。寛政6年5月、都座、桐座、河原崎座に取材し、一挙に出版された雲母摺りの豪華な役者大首絵。写楽の個性が最もよく発揮された全28図が一室に並んでいるのは壮観である。

 二期の作品は、寛政6年7月と8月の秋狂言に取材した作品。すべてが全身像となり、大判では2人の役者が、細版では1枚にひとりずつが描かれている。

 三期の作品は、寛政6年11月に取材した役者絵が中心。相撲絵や役者追善絵など、時事的な話題を意識した作品が見られる。間版(あいばん33×23cm)大首絵では、背景が黄つぶしとなっている。

 四期は寛政7年正月の新春狂言に取材した作品。役者絵は連続した背景の細版のみが描かれ、形式化が進んでいる。残っている作品が少ないのは、写楽の人気が薄れたためと想像されている。

 第3章の中では、版の違う同じ絵が2枚並べて展示され、版によって衣装の色など細部が微妙に異なっているところを見る事がでる。

 第4章は写楽とライバルたち。同じ歌舞伎興業での同一の役者に取材して描いた、別の絵師と写楽の作品が並べて展示されており、写楽とほかの浮世絵師の特徴、描かれた役者の特徴を見比べることができる。

第5章では、写楽以降の艶鏡や豊国などの作品から、写楽の影響を検証している。

写楽の興味は尽きない
 原発の事故で、海外美術館からの日本への作品貸出が中止になる中、たくさんの海外で所有されている作品も展示されていた。
 写楽のほぼ3分の1にあたる44枚は、日本に残されていないという。テーマごとに、同じ作品(所蔵や刷りが異なる)の約30点がテーマに応じて展示されているという、贅沢な試みとなっている。

 写楽の魅力はクルトの言う、レンブラント、ベラスケスと並ぶ肖像画家であるとの主張に共感する。第一期に出版された雲母摺りの豪華な役者大首絵に写楽の特徴を見る。山種美術館でも第1期から第3期の合計21点の作品を見たが、第一期の単純化され、大胆にデフォルメされた表現は、今の時代にも新鮮な魅力がある。
 これだけの数の作品が一堂に展示されると、大判(39×27cm)の迫力に圧倒されて、細版(33×16cm)に微細に描かれた全身像や背景の細部まで目が届かないところがある。

 三期の作品には、歌舞伎の背景や大道具・小道具が描かれており、歌舞伎の専門家や研究者にとって時代考証としても興味が持たれている。

 東博の美術展は全部が写楽一人の作という前提だが、二期以降は写楽本人ではなく、制作集団(工房)と考えるのが良い、という意見にも、うなずけるところがある。

 なお、2008年にギリシャの国立コルフ・アジア美術館が収蔵する写楽の署名のある肉筆扇面画について、日本の研究者が学術調査を行った結果、写楽の作品であることが認められたが、この作品は展示されていない。

エピローグ
 書棚の隅の日本の推理小説群の中に『写楽殺人事件』の文庫を見つけ、埃を払って読んだ。『写楽殺人事件』は、大学卒業後浮世絵の研究者となった高橋克彦のデビュー作。1983年に第29回江戸川乱歩賞を受賞していることもあり、推理小説としても面白い。

 『写楽殺人事件』では、《東洲斎写楽改近松昌栄》を登場させ、写楽の謎解きと、浮世絵界の2人の大御所の葛藤が殺人事件に展開する推理小説。この小説が書かれるまでに取りざたされた写楽の謎について、物語の展開の中で要領よく紹介されており、写楽に関する知識の習得に役に立った。

 1995年2月に公開された篠田正浩監督の映画 《写楽》についても語る内容がたくさんあるが、これはまた別の機会に譲ることにする。