編集後記集

■子の権現ハイキング
 第12回アウトドアクラブ「たかお会」の「子の権現天龍寺ハイキング」に参加した。昨年の「善福寺川自然探索ウォーキングと緑地公園での花見(第8回)」以来2回目である。

 アウトドアの活動に興味はあるが、左足の倦怠感と軽い痺れを感じることがあり敬遠していた。2003年にピレネーへ「花とロマネスク様式の教会を見るツアー」に誘われて、出発する前に医者に行った。10年前にテニスで腰を痛めた時のレントゲン写真が出てきて、新しい写真と見比べて、若干の老化はあるけど異常は見られない、旅行OK、テニスもゴルフもおやりなさい、という診断のもとにピレネーへ出かけた。万全とはいえないまでも、ピレネーのトレッキングを楽しむことが出来た。その後「川沿いの散歩道」を歩くようになって、かなり改善したように感じる。ゴルフにおいても最終ホールまで、倦怠感としびれはかなり軽減されている。子の権現は足腰へのご利益があるとのことで、今回のハイキングに参加することにした。

 前日も雨、天気予報では翌日は雨の予報、家を出ると快晴で空の青さに驚いた。6時45分に稲毛で総武快速に乗り、東京から地下鉄で池袋に行き、指定された快急に乗った。9時23分に西吾野駅に着いた。
 同じ電車で今回の参加予定者8名が集合し、東川隊長よりの当日の説明と注意事項を拝聴して出発。

 車道をしばらく歩いて、案内板にしたがって右に折れて山道に入る。杉や檜の林の中を歩く。空は快晴のせいか、光が到達しない山道も暗い感じはしない。山道のこう配も適当で、路面の状態も良好、所要時間90分ほどの距離をゆっくりとしたペースで、標高640メートルの山頂を目指す。途中で体が温まり、最初の休憩でマフラーをとり、ウエアのライナーをはずす。お地蔵さんや丁目石などを道端に見ながら山道を登り、車道に出て、教育地蔵のところから再び山道を少し歩くと広場にいたる。屋根つき駐車場の反対方向の子の権現へ向かうと、二本杉、土産物店、山門(黒門)、仁王像の間を抜けて本坊へと続く。

 2本杉は埼玉県の天然記念物に指定を受けており、天龍寺縁起によれば、この杉は延喜11年(911年)子の聖が食事のとき箸代わりに使った杉の枝を挿し、それが成長して大樹になったと言う。木は南と北に2本並び、樹齢は2本とも約800年と推定されている。南のスギは幹周り7.8m、樹高36m、南側にあるものは健全な姿を見せているが、北側の杉は途中から幹が折れてしまい、痛々しい姿をさらしている。(写真は杉の木肌を撮ったもの)

 黒門を過ぎると、仁王像が両側に立ちふさがる。昭和11年に造像されたもので邪悪なものを退治し仏法を護持している。
 本坊(写真)は、江戸時代末期に建てられたもので、茅と杉の皮で何層にも葺かれた屋根は当山の名物になっている。大黒柱は周囲2.3Mの楓の大木が使われている。写真でご覧になるように、現在は葺き替えの途中であり、葺き替えのための費用の寄進のお願いの掲示がしてある。

 本坊の前を過ぎて少し上がったところに本殿がある。子の権現は武蔵野観音第三十二番札所、関東百八地蔵尊十番札所になっている。一般には子の権現の名で親しまれているが、正しくは天台宗の大鱗山雲洞院天龍寺と呼ぶ。天長9年(832)子の年・子の月・子の日・子の刻に生まれ、湯殿山で徳をつんだ子の聖が草ぶきの家を建てたところで、弟子の恵聖上人が聖人を祭ったとされている。

 お賽銭をあげて、子の権現を訪ねることが出来たことに感謝し、足腰の無事と健康を祈願した。本尊は、飯能市指定有形文化財の「木造不動明王立像」であり、本堂内陣左側に安置されており、像高101.7cmの一木造りの平安仏。不動明王像は木理も判然としないほど黒ずんでいるため、一見忿怒(ふんぬ)の面相も素地は穏やかな面貌であるとのことであるが、今回は拝むことが出来なかった。
 本殿前の広場の右側には、鉄のワラジとめおと下駄が置かれている。当時では往古より、本尊様へ履物を奉納し願をかける習わしがあり、境内にある日本一の鉄のワラジはその信仰のシンボルとなっている。
 本殿の横の石段には昨夜の雪が残っており、滑らないように注意して上ったところに、鐘楼がある。鐘には「南無子聖大権現」のいう銘があり、更なるご利益があることを信じて、力をこめて鐘を撞いた。

 子の権現へ来た目的を達したところで小休止。本坊の前の広場の脇にあるベンチで、2個のおむすびの軽い昼食をとってから帰途につく。帰り道は吾野へ向かうコースをとる。西吾野より上ってきたコースより急斜面の山道を降りることになった。東川隊長から斜面をおりるときのの歩き方を教わって、膝への負担を少なくするように、小幅で落差の少ないルートを選んで歩く。

 歩き足りない感じのするうちに、新年会を予定した浅見茶屋へ到着。我々の部屋が確保されており、裏手に回って上がりこむ。部屋には薪のストーブが燃えており暖かい。むくの木でつくられた大きなテーブルを勝手に並べ替えて8人の席を作る。まずビールを頼んで、後は竹筒酒を注文。お銚子は太めの竹製。節から節の間を使用し、上部の節に小さな穴をあけ、注ぎ口の竹を伸ばす細工がしてある。竹の銚子に酒を入れてから直火でお燗をするらしく、竹筒の下部の節のところは焦げが見られ、触るとやけどをするほど熱い。最初は燗酒を、その後に冷酒を頼んだ。冷酒も竹筒に入っており、これは冷たく感じるほどに冷やしてある。お猪口も竹製。細めの竹を5センチほどに切ったもので、飲み口のところの内側に面取りがしてある。

 料理は、最初に手作りのこんにゃくの田楽、それから小エビのから揚げ、旬の野菜のてんぷら、最後にうどん。うどんはつけ麺と釜揚げがあるが、暖かさに惹かれて釜揚げを注文。この店はうどんが名物。もちろん手打ちで、注文後に切り、それから茹でるので時間がかかる。桶に入った釜揚げを想像していたら、竹筒を節から節まで切ったものを横にして、上部を楕円に切り取って蓋にした容器で出てきてびっくり。うどんは素朴な味でおいしかった。

 お酒を飲む人、飲まない人、飲めない人、それぞれだったが、時が過ぎるにしたがって話が弾んだ。飲めない人も努力をすればのめるようになる、それは無理な人も居ると反論、食事の時はお酒を飲みながらゆっくり食事をするものと親を見て思い込んでいたYWさん、若い頃土曜日の夜は夫婦でウイスキーを1本空けたとのこと。料理を作る男、作らない男、男が作る料理について、山荘では男女を問わず手伝いを断り一人で料理を作り、お客に喜んでもらいたいKMさん、毎日料理を作って旦那に食べさせている主婦の心理、奥さんを亡くした料理の出来ない年老いた男の不幸を強調した脅し。そのうちに熊本の民家の話に発展。1階部分を柱と梁で造り、屋根を竹で組んで藁で葺く方式。形状は異なっているけど、私の生家と同じ造り。飛行機の話では、飛行機を怖がるYMさんが、飛行機は安全であるとのプロのKMさんの理路整然とした説得、などなど。

 その週は月曜日の運営委員会のあと、木曜日はふれあい充電講演会のあと、金曜日は千葉のアドバイザーの有志のホッピーを飲む会があり、この日は控えようと思っていたが、お酒のすすめ上手と注文上手がいて適当に酔っ払い、このほかいろんな話が出たと思うが、この席の状況は正確に伝えることが出来ない。

 東川隊長の粋は計らいで、帰りは吾野駅まで車で送ってもらえる手はずが整っていた。この店の親父さんの車に8人が乗り込んで、10分ほどで駅に到着。親父さんの見送りを受けて帰途に着く。東飯能で八高線に乗り換える5人と別れて池袋に向かった。西武線、地下鉄丸の内線、総武快速と乗り継いだが、途中はよく眠り、退屈することなく稲毛にたどり着いた。

 この会の企画と十分な準備をして、一日面倒を見てくれた東川隊長と滝村副隊長と、共に楽しいときを過ごしていただいた皆様に感謝します。
【生部】

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