編集後記集

■岡村喬生の「冬の旅」を聴きに行った  【NO95・060315】
 コンサートには、忙しい時や気分が優れない時はしばら遠ざかってしまう。しかし、不思議なもので、何かのきっかけで行き始めると続けることになる。会場でもらったたくさんのチラシの中から次回に行きたいものを探し出して、あくる日に電話することで循環する。最近はコンサートから遠ざかっていた。

 今回のきっかけは、フィッシャーディスカウの「冬の旅(1972年録音、ピアノ:ジェラルド・ムーア)」をBGMとして聴いていた時期に、新聞に掲載された岡村喬生の「冬の旅」の案内を見たことと、ピアノがイェルク・デームス、会場が上野の東京文化会館小ホールであったこと。電話で座席の相談をしたら、良い席は皆埋まっているという。空いている席をいくつか紹介してくれる中より最前列の中央の席をリクエストした。 

 マネージャーでミリオンコンサートの代表・小尾さんの注文で、色々なピアニストと28年間続いているそうである。私は1985年に同じホールで聴いたので、21年ぶりということになる。その時は、ピアノの高橋悠治との組み合わせに惹かれて行った。

フィッシャーディスカウ
 「冬の旅」で最も印象に残っているのは、1987年サントリーホール一周年記念コンサートでのフィッシャーディスカウ。1925年5月生まれの彼は62歳だったが舞台の下手から出てきた大柄のスクットした姿が忘れられない。

岡村喬生のブログとプレトーク
 前日に岡村喬生のブログを見て居たら「デームスとの今回の練習は2回。軽く確認をしあい通すだけ。いくらやっても本番になると別な演奏になる。だからお客様を前にした本番が一番勉強になり楽しい。今度はどうあいなるか?」と書いていた。かつては、演奏者の生の声を前日に聞くことなどなかった。本番にかける意気込みが感じられて、当日に期待した。

 今回の岡村喬生の「冬の旅」には30分間のプレトークが予定されていたので、春を思わせる暖かい中を早めにホールに行った。舞台には椅子が3つ置いてある。時間になって現代風の音楽が奏でられ下手より岡村喬生が登場。席より数メートル先に元気な姿を見る。1985年のパンフレットでも、今回のパンフレットにも生年月日や年齢は記されていないのでここに書くのは遠慮しよう。

シーケンスと物語

 「日本語で歌ってほしいと言う希望があるが、うまく行かない」。有名な「菩提樹」の「泉に添いて 茂る菩提樹 したいゆきては うまし夢見つ」という歌詞を例にとり、十分に表現していないのでドイツ語で歌わざるをえない、という話からトークが始まった。「いい日本語訳があったらください」とも。
 シューベルトの「冬の旅」は24の歌曲で出来ているが、独立したものでなくお話になっているということを、岡村喬生は「シーケンス(幾つかのシーンで構成される一挿話)」になっていると表現した。

岡村とデームスの「冬の旅」への取り組み
 「冬の旅」の物語の紹介が終了したところで、通訳(仏語)と共にピアノのイェルク・デームスが登場。1928年オーストリア生まれ。パウル・バドゥラ・スコダ、フリードリッヒ・グルダと並んで「ウイーン三羽烏」と言われている有名なピアニスト。同時通訳で意味不明のところがあるが、デームスの「冬の旅」の解釈と取り組みはおおよそ以下の通りだった。

 「美しき水車小屋の娘」は、悲しい曲であり、若者が苦しみに負けてしまうお話であるが、「冬の旅」は悲しいのみでなく、苦しみを乗り越えて希望を抱かせるものがある。22曲の力強さ、最後の24曲では靴もはかないで、聞く人も居ない中で弾きつづける辻音楽師を助け、共に生きてゆこうとする若者は救われるであろう、と。
 このようなデームスの居考えが披露された後で、二人の対話があった。岡村の「ペスミスティック(悲観的)ではあるが死を求めてはいない」、デームスの「愛がすべてではない。ほかにも生きる希望はあり、若者は最後に新しい力を得る」など、二人のこの曲に対する考えが一致しているのをみた。「シューベルトには、バッハなどに見られない自然がふんだんに出てくる」というデームスの意見。

 岡村は「ルーエ」がこの曲の基調となっていると考え、問いかけたが、デームスは「休息・睡眠」であるとの、通常の答えが返ってきて、かみ合わなく不満そうだった。

 1827年2月に前半に第1部の12曲が完成したところで友人に歌って聞かせたが、当初は「菩提樹」以外は評判が悪かった。8ヶ月ほど中断して第2部を完成させた。シューベルトは、翌1828年11月に亡くなっている。
 シューベルトが曲をつけたためにミュラーは不滅の人になった、シューベルトが作曲したので「菩提樹」は民謡になった、このようなトークが40分ほど続けられて休憩に入った。

演奏が始まる
 最初のデームスのピアノのから上々の滑り出し。パンフレットの日本語訳の歌詞を追いながら聴き始める。パンフレットの歌詞は、1985年の時のものと同じ。21年間同じ歌詞を使っているのか。途中からフィッシャーディスカウののCDに入っていた対訳に変える。ドイツ語がわかるわけではないが、歌についてゆくにはこちらの方が良かった。

 恋人に裏切られた青年は戸口に「おやすみ」と書き付けて暗い道に出て、旅が始まる。屋根の「風見」の音に自分を追い払おうとする悪意を感じる。ほほをつたっておちるしずくは「凍った涙」となる。

 かつて歩いた緑の野原は雪と氷、彼女の面影も「氷結」している。たくさんの愛の言葉を彫り付けた泉のそばの「菩提樹」のささやきを後に遠くまでやってきた。「あふれる涙」が雪解けの水流となるのを空想する。

 硬く凍った「川の上に」恋人の名前と最初に会った日付と分かれた日付を刻みこむ。未練を振り切ろうとするが、楽しかった日を「かえりみ」る。「鬼火」に誘われて深い岩の谷間に迷い込む。

 小さな炭焼き小屋に「休息」の場を見出すが、手足は休もうとしない。色とりどりの花が咲く野原や、若い乙女との抱擁と口付けをする「春の夢」を見るが、カラスの叫び声で現実に引き戻される。静かな大気と楽しげな人々の中でも「孤独」を感じる。

 通常は第1部が終わったところで休憩に入るが、岡村とデームスは続けて第2部に進む。

 恋人の居る町からやってきた「郵便馬車」のラッパの音に、くるはずのない手紙を期待する。髪に霜が降りた「白い頭」を見て白髪になり死が近づいたことを喜ぶが、霜が解けて黒い髪が現れる。町を出るときからずっとついてきた「からす」に誠実(死のときまで共に居る)を見せてくれるように願う。

 ぶら下がっている色あせた枯葉に「最後の希望」をかけるが、大地に落ち、希望も地に落ちる。人々が眠りに撞いている「村にて」も、夢見ることもなくたびを続ける。「嵐の朝」に自分の壮絶な姿を重ねて見る。

 鬼火の中にやさしい乙女の「」を見る。旅人たちがたどる道を避けて、死への道筋を示す「道しるべ」をたどる。疲れきった体を休めたい「宿屋」(実はお墓)は満員で、さすらいの旅を続ける。

 もう一度「勇気を!」もって胸をはって風や嵐に立ち向かおうとするが、最愛の人の両の瞳は「幻の太陽」となり沈んでしまう。最後に、老いた孤独の「辻音楽師」を伴侶にし、いたわりながら旅を続けようとする。

曲が終わりアンコールに

 23曲「勇気を!」の前奏でムーアは、トークで強調した「苦しみを乗り越えて希望を抱かせるもの」をピアノで表現する。「冬の旅」は歌曲として聞くことで十分にいいものだが、今回は岡村のトークにより、物語として歌詞の意味を理解しながら聞くことにより、深く「冬の旅」に没入できたような気がする。終わりに近づくにしたがって最高潮に達し、第21曲「宿屋」の冒頭のデームスのピアノが鳴り出したときにはジンと来るものがあった。

 24曲を一気に歌い終わり、弾き終わり、2人は下手の袖に引っ込んだが、拍手に迎えられて舞台に現れてすぐにアンコール。
 アンコールは下記の3曲が短い拍手をはさんで連続して演奏された。
・夕映えに(D799)
・ガニメート(詩:ゲーテ)
・影法師(「白鳥の歌」より)
【生部】

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