編集後記集

■龍と龍水
龍水

 2000年3月にお花を始めて1年経ったとき、佐伯雅水先生より「3級を申請するので、華名を決めてください」と言われてとまどった。しばらく考えて「龍水」にしてほしいとお願いし、了承していただいた。私の流派では、「水」を使うことになっている。私の場合は名前が「圭助」なので、通常は「圭水」ということにするのが順当である。
 「龍」という名前にしたのは、私の生まれが辰年というのが主な理由であるが、小布施の北斎館にある、「富士越龍」や、天龍寺の法堂の天井に描かれた加山又造の平成の「雲龍図」が頭のすみにあったのも事実である。
 
 龍水はその後真面目に稽古に励み、2002年4月に「師範」の資格をいただいた。一応人に教える資格ということらしいが、その後も月に1回、本部の研究会に精勤した。また千葉地区で毎年1回開催される「千葉ブロック華展」にも3回参加して、たくさんの先輩達(ほとんどが私より若い女性)と知己を得た。
 途中の幾つかの資格を経て、2006年4月に椿山荘で開催された認定式で、「正教授」の認定証を井上格水会長よりいただいた。正教授になると、正会員として処遇され、総会などへも出席することになる。
 
 しかし、この先は長い。次の最初のランクをひとつ上がるのに最低2年半を要し、この先14年半に及ぶ階段が控えている。生きているかわからない時間を考える事はやめにして、稽古に励み、楽しみを続けられたらと思う。
 

 2002年6月から12月にかけて、メルマガIDNに「龍のコンサート三昧」を連載した。会社人生のなかで1973年から1998年までの25年間に8回欧米に出張し、延べ18回のコンサートを体験した。18回のなかで体験した、思いもかけないコンサートに行ったこと、印象に残ったこと、楽しかったこと、人との出会い、夜の街で恐い思いをしたことなどを12回にわたって連載した。ここではお花で使う「龍水」と区別し、「龍」という名前を使うことにした。以来、お花以外のメニューは「龍」の範疇にあり、ハンドルネームとしても使っている。
 
ホームページ
 2004年の夏にホームページを立ち上げた。最初はページ創りの練習が主な目的だった。IDNのホームページを引き受けて以来更新を続けてきたが、何か新しいことを試みるときに、自分のページで実験をしてからIDNのページに導入した。
 私のホームページにはこの編集後記もまとめて掲載しているが、内容は私の興味の対象にかかわる「よしなしごと」と千葉ブロックの皆さんの作品なども紹介する「花と華」に大別している。

 ページのタイトルを決めるときに迷った。「龍のページ」が妥当なところだと思ったが、検索してみるとあまりにも多すぎる。「龍水のページ」も検索結果は少なくなるが、多いことにはかわりがない。現在googleで「龍」を検索すると37百万件、yahooでは29百万件が表示される。「龍水」ではgoogleで16万件。yahooでは8万件だが、17番目に私のページが現れる。
 試行錯誤をした結果、「龍と龍水」とした。これで検索すると2件のみ。私のページと私のページにリンクを張ってくれている吉澤さんのページ。おかげさまで、自分のページのURLを記憶していなくても、他所ですぐに自分のページにアクセス出来るようになった。

 自分のページのTOPには皆さんが気を使っておられるが、私は無頓着に過ごしてきた。数日前にTOPページをマイナーチェンジした。中国を旅行した方から「龍水」の印をお土産にいただいた。西泠印社で彫ってもらったもので、朱肉も一緒についている。従来の手書きの「龍」といただいた「龍水」の印を組み合わせて、メニューを再構成した。おかげさまで、ページが大きく2つの内容で構成されていることを明確にすることが出来た。
 
                         
 
 以上のようなことがあって「龍」には興味を持っている。十二支の中でも唯一の架空の動物、孔子が老子を「龍のような人間」と言った、龍は皇帝のシンボル、万里の長城は6千キロメートルの龍、龍頭は東の老龍頭(らおろんとう)で龍尾は西の嘉峪関(かよくかん)、絵や彫刻や陶磁器にもたくさんの龍。

 けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。

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