編集後記集
(メルマガIDN 第98号 060501)

■清水にある沙羅双樹を見に行った
 4月16日(2006年)に清水(きよみず:佐賀県小城市)にある沙羅双樹を見に行った。花は咲いていないのは承知のうえ。以前に編集後記に書いた続編である。
 
発端となった中原郁生遺稿集「平家物語探訪」
 メルマガIDNに、武部忠夫さんがリライトに青木紀雄さんが撮った写真を添えて、中原郁生遺稿集「平家物語探訪」(全14話:第44号~第70号)が連載された。第2話の中に、沙羅双樹の樹と花の説明が丁寧に書いてあり、佐賀県小城町の清水観音の本堂前にあります、と紹介されていた。また、中原氏が衝撃的と感じた平成8年5月14日付の朝日新聞「声の欄」で見た記事の内容が記されていた。

中原郁生氏の奥様よりお手紙をいただいた 
 メルマガIDNの第46号(04/03/01号)に『清水観音の本堂前に沙羅双樹がある佐賀県小城町は私の故郷』と題して短い文章を書いた。
 その後すぐに、中原郁生氏の奥様の節子さんよりお手紙をいただいた。
(前部略)この度メルマガ46号の編集後記を読んで驚いてしまいました。生部さんが佐賀県小城町の御出身であること、清水観音をご存知である事等々。
 亡夫中原が沙羅双樹とナツツバキのことを書いた後、朝日新聞の「声の欄」の投稿者の証言を得て確信を持った中原は更に広い範囲で各地に伝わる平家伝説や民話を集めたいという思いから「平家物語探訪」を纏めたものと思われます。
 少し時間が掛りましたが、メルマガに発表されて早々に、しかも身近なところで生部さんとのご縁は奇しきものとしかいいようがございません。中原の熱い思いのなせるものなのでしょうか。
 生前の主人は多忙な人だったので「声の欄」の投稿者河本某なる人と文通したとか、沙羅双樹の花の散る美しい光景を見たというのは聞いていません。そのファンタジックな光景はさぞやすばらしいものだと想像に難くありません。一度出会いたいものだと思っています。(後略)
 以来、清水を訪れたいと思っていたが、母の七回忌のために帰省したときに、念願を果たすことが出来た。

清水の沙羅双樹

 清水は実家から車で20分くらいのところにある。鯉料理屋の並ぶ狭い道を抜けて正面にある山門(仁王門)をくぐる。山道の左にこのお寺の縁起が書いてある看板がある。
 正確には、『清水山見瀧寺宝地院』という天台宗の寺院。要約すると、延暦22年(803年)桓武天皇の勅を奉じて聖命上人が開基した国家鎮護の道場、佐賀鍋島藩初代藩主鍋島勝茂公が武運長久と国家安康を祈り、寛永4年隣江山住持豪舜訪印を中興開山とし、観世音菩薩を勧請し清水山を建立した、と説明が書いてある。
 
 山門をくぐって、桜が既に終わっている山道をしばらく上るとやがて石段の下に到達。石段の上に本堂(弁財堂)の屋根が見える。石段を上ると本堂の前が広場になっている。沙羅双樹は清水観音の本堂前にある、と中原郁生氏の遺稿集に書いてあるが探すことが出来るか心配していた。広場に立って周りを見渡すと、沙羅双樹を示す立て札がすぐに見つかった。インド原産、佐賀藩主11代鍋島直大公がお手植えになったと書いてある。清水の沙羅双樹は予想に反して大きな木だった。
 太い幹は地上かあまり高くないところから二又に分かれており双樹の典型を見て取れる。木の下部には葉がなく、上部にみどりの葉が茂っている。花が咲くおよそ3週間前の様子を見たことになる。(写真:左参照)

住職の話

本堂の中に住職がおられたので話を聞いた。
 清水は鍋島藩直轄の寺である。既に亡くなられている印刷会社の会長だった方が、朝日・毎日・西日本・佐賀新聞に投書したことがここの沙羅双樹を有名にした。
 10年前までは町の商工観光課の人も知らなかったが、最近は遠方よりたくさんの人が見に来るようになった。ご本人もこの数年はしっかりと見るようになった。下手にいじって枯らすのが怖いので、手入れは一切しないで自然木としている。

 花は毎年5月上旬(5日~10日頃)に咲くが、隔年に花の量が違う。昨年はたくさん咲いたので、今年は少ないのではないかと思う。桜と同じで咲く時期が限られ、雨が降るとすぐ散ってしまうので、見る時期は限られる。花の香りは淡くきつくない。
 
 沙羅双樹は、京都の南禅寺と比叡山にもある。比叡山では浄土院(最澄が亡くなったところ)にあり、右側に菩提樹、左側に沙羅双樹がある。

河本尋匡(かわもとひろまさ)氏が撮った写真とメモ
 このような話を聞いていたら、ちょっと待ってくださいと奥へ入って戻ってきて、はがき大の写真と同じ大きさの書き付けを持ってきてくれた。中原節子さんの手紙に書いてあった「声の欄の投稿者河本某氏」、河本尋匡氏が撮影した花の写真と書いたメモだった。

 以下に、河本尋匡氏が書いた文章を原文のまま紹介する。文章は、遺稿集の中で氏が新聞に投稿したとして紹介された文章とは少し異なっている。

 幹が二又に育つので双樹という。お釈迦様がこの木のもとで永い眠りにつかれたと言う。
 11代佐賀藩主鍋島直大(なおひろ)公がこの双樹の苗木を遠い原産地インドから取り寄せ、この地(佐賀県小城町清水観音寺本堂前)に植えられと伝わっています。
 寒さに弱く日本の風土では育たないと言う定説を見事にくつがえし、百年もの星霜にも耐え奇跡的に生き続け今では20メートルほどの大高木に成長し毎年五月に花を咲かせます。
 花は大高木に不似な小さな可れんで淡黄色、寄り添うように集い、透きとおった艶緑の大広葉の間を埋め尽くし咲き乱れます。
 ふくいくたる香りはとても神秘的で瞑想を誘います。私はそのたくましさと気品に見せられて、のめりこみ写真を撮り続け、生き甲斐にしてまいりました。本邦唯一生き続ける正真正銘の沙羅双樹、たくましいその生命力を賞でてください。上掲は花のアップ写真です。私が撮影したものです。みどりのカナブンブンがとまっております。
(平成9年4月30日 佐賀県鹿島市古枝 河本尋匡 かわもとひろまさ 82才)

 今回は花を見ることが出来なかったが、河本尋匡氏が撮られた写真で花を見た。氏は既に亡くなっておられるので、無断でここに掲載させてもらうことにする。

清水の瀧
 本堂の横を奥に入ると滝が見える。滝を見ながら石段を降りて滝壺に至る。滝壺にある3つの像と滝の上部を見上げながら、小学校の時に遠足できたことをかすかに思い出した。
 滝壷から流れ出る小川に沿って左側に倉永節士清雄の碑(誠感碑)がある。6代藩主宗教の大患平癒を願って、断食の後、みぞれ降る厳冬の夜滝に打たれて凍死した藩士の碑。
 緑に覆われた川沿いの道をしばらく歩くと最初にくぐった山門の横に出た。

 両親が亡くなって帰省する機会は少なくなり、次も法事ということになりそうである。清水の沙羅双樹の満開の花を見ることが出来るか定かではない。【生部】

   沙羅双樹                               写真:河本尋匡氏(1993/5/12)

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