編集後記集
(メルマガIDN 第99号 060515)

■「くど造り民家」の再生
古民家の知恵研究会
 数人のメンバーで「古民家の知恵研究会」と名づけて民家の勉強会を行っている。 古民家に秘められた先人たちの知恵を掘り起こして学び、今日の生活の中に生かそうという主旨で始めた。
 ライフスタイル・自然との融和・コミュニティ形成の知恵、和の心・生活の中での癒し、などソフト面での知恵。
 建物の形態・平面構成・木組み構法・士口・材料などをみても、環境に配慮した材料やライフサイクルを考慮したハード面での知恵。
このような古民家の知恵を今日の建物造りに生かすことが出来たらと思う。

 先日研究会のメンバーが5人で、池袋から東上線で1時間少々のところにある小川町へ行って5軒の古民家を見てきた。この話は別の機会にすることにして、今回は私の生家の近く(佐賀県小城市)にある「くどづくり民家」を再生した建物のお話。

くど造り民家
 「くどづくり民家」は、建物の屋根の形が、ご飯を炊く「くど」に似ていることが、この呼び名の由来とされている。佐賀では「おくどさん」と言った。 「くどづくり民家」は私の卒業論文のテーマである。卒業の前年の夏休みに、佐賀平野を東西に横切る34号線沿いに散在するこの形式の民家を調査して歩いた。当時は屋根が藁葺きのものがたくさん残っており、建物の平面図を再現しながら建物の概要を調べた。開け放った入り口から土間に入り、用件をお話しするといずれも気持ちよく迎え入れてくれ、開け放った住まいの中も十分に見せてもらえた。
 私の卒論は学校に残っていないし、当時はコピーで複製を残す知恵もなく、足で稼いだスケッチブックも今は残っていないのが残念である。 

 勉強会のHさんが偶然古本屋で、今 和次郎著の「日本の民家(相模書房 1954年3月贈訂第1刷)」を見つけて購入した。卒論を書いているころには「民家」のバイブルとも崇めた本に再会した。「日本の民家」には、「採集」と題して、全国の民家の調査事例が68例示されている。66番目に「有明海岸の農家」として「くどづくり民家」が紹介されている。

 「四角いプランへ凹字状の屋根をかけた不思議な家がある。佐賀県の方から有明海に陸地がだんだん延びてゆくと、こんな形の家が増えてゆくのだ。(中略)家は仲々よく出来ている。宅地の使い方にも一寸の無駄もない。(中略)この屋根の架け方も、木材に乏しく藁が豊富なことから工夫し出されたものであろう。こうすると実際小さい梁材ですむのだから。(後略)」

再生された「くど造り」
 実家に帰省し小城町の増田羊羹へ土産を買いに行くたびに、この店の建物が「くどづくり」であることに気づき、懐かしく見ていた。先日、母の七回忌で帰省(2006年4月16日)した。清水へ沙羅双樹を見に行った帰りに増田羊羹に寄った。建物の写真を撮り、来客のある忙しい中で、当店の女主人にお話を聞くことが出来た。この建物はきれい過ぎるので、何処かにあった建物を移築したものではないかと思っていたが、そうではなかった。概要を紹介する。

・この建物は明治時代につくられた:棟梁に記録があるのを屋根の葺き替えのときに見た
・昔は質屋さんだった:昭和46年に増田羊羹が譲り受けた
・現在は店舗として使用されている(当初の平面の形はわからない:筆者コメント)
・店舗は以前に土間だったところと和室の一部を使用しているようだ:筆者コメント
・奥に和室が現在もある(見せてもらった)
・柱と梁は昔の状態で使用されている
・店舗の柱は表面を新しい材料で囲んで化粧してある
・和室の柱は当時のまま黒光りしているのを見た
・朱塗りの柱があった(漆塗りだと思われる:筆者コメント)
・屋根の仕様:昔は藁(わら)葺きだった。昭和47年に「葦(よし)」に変更した
・その後、2回葺き替えをしている(60年もつと言われたが、無理のようだ)
・屋根の骨組みは竹である(「くどづくり」の標準的な構法である:筆者コメント)
・「吉野ヶ里」で仕事をしている屋根職人が葺いてくれた
・昨年と一昨年の台風で屋根の竹組みが壊れて、現在の天井を突き刺した
・屋根と天井がはがれ、一階の土間から空が見える状態になった
・現在の状態(写真)は、台風後に葺き替えたものである
・屋根の飾りは独特のものである。(写真 相当格式のあった家だと創造される:筆者コメント)
・屋根の飾り「耳」の部分をカラス(小城では「カチガラス」という)がついばんで、なくなってしまう。せっかくの飾りなのに困ってしまう

 営業中のお店で長話は出来ず、平面図を書く時間もなかった。この建物は、昔卒論で採取した民家に比べて格上の感じのする建物規模であり、屋根形状である。旧家である質屋より羊羹屋の名家が引き継いで、「吉野ヶ里」の職人が居て、現代に生き残っている稀な例と言えよう。

  
私の生家も「くど造り」だった
 実は私の生家も「くどづくり」だった。20年近くこの古い家で育った。土間と板敷きと畳の間、土間と部屋の間に「上がり框」、このような構成は、この地の典型的な民家であるが、当時はそのような意識はなく、卒論を書きはじめてから意識を新たにした。田で取れた麦藁を天井裏に保管し、この藁を使って屋根の葺き替えるのを手伝ったことは今でも記憶に残っている。一年間で収穫できる藁の量は限られているので、ひとつの屋根面しか葺くことが出来ず、葺き替えた直後は、古ぼけた茶色と真新しい藁の色のコントラストが鮮やかだったことも目に残っている。

工業化手法の精神を見る「くど造り」
 「くどづくり」の手法の素晴らしさを本当に理解したのは、建設会社に入社し、工業化工法の研究を始めてからである。明確な1間(1.8M)モジュールの採用。独特の屋根構法は背を低く抑えてこの地の台風から守り、床面積の大小を自由に構成する知恵が詰まっている。使用する材料(柱や梁)の標準化がこの頃に既に考えられていたことに驚く。

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