ロマネスク教会

2004年6月にスペインのカタルーニャ地方とピレネーを旅した記録のなかより
ロマネスク教会にかかわる部分を抽出したものです
(メルマガIDNの編集後記に連載)



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■(その9) 舞台は高地の花からロマネスク教会へ

 ピレネーの7日目の朝9時半前に、アイグエス・トルテス国立公園の東の入り口のエスポットのホテルをバスで出発。管理事務所の前にいたジェラール・ヒメネス氏と初日に公園に一緒に行った女性たちの見送りをうける。C13号線に出て北上し、C28を西へ曲がり、カタルーニャの北西、国境に近いビエヤへ向う。
 アネウの谷を経由して10時過ぎに、標高2072Mのボナグイア峠のスキー場のリフトの下に到着。天気は快晴でピレネーの山並みを遠くまで見渡すことができた。ボナグイアは良水(清水)の意味で、峠は大西洋と地中海の分水嶺になっている。アラン側はガロンヌ川となって大西洋に注ぐ途上でボルドーワインを生育する水となる。ノゲーラの流れとなって地中海に注ぐ水は、河口付近でバレンシア米を生育する。
 ボナグイア峠を少し下って、11時過ぎから2時間ほどベレットスキー場で散策した。べレットスキー場はバッケイラ、ボナグイアスキー場とつながっており、スペインでも有数のスキー場で、国王一族や首相の家族もみえるらしい。この地点の水は地中海に注いでいる。北方に2800M級の山がありその先が仏領。広い草原では牛の放牧が行われている。すぐそばの小山の斜面にはエニシダが群生しており、山腹のエニシダの中に入ってみると一面黄色い花で覆われ、強烈な香りにむせかえった。
 1時15分にベレットスキー場を出発。2時前にエスクナウのレストランに到着し昼食。このレストランは、家畜小屋をリフォームしたもので、かつては1階で家畜を飼い,階上に人が居住していたという。ほの暗いレストランで、いつものようにワインを飲み、メインにアヒルの煮込みを食べた。

エスクナウの「サン ペール教会」
昼食を終えてレストランの横の坂道を登っていったら、いきなり古い教会が目に飛び込んできた。「花を見るのを終わり、これからはロマネスク教会に変わります」と虔之介さんが言った。その手始めがエスクナウの「サン ペール教会」。この教会は12世紀に作られたロマネスク教会で、教会の東側は14世紀にゴシック様式で増築されている。案内をお願いしてくれていたローザさんを待つ間に、虔之介さんが教会の見かたについて説明してくれた。北面にある入り口の形状、柱(カラム)、柱頭、アーチ、文様、たくさんのレリーフ、書かれている文字、十字架の形状、使われている石材、などなど。ローザさんが約束の時間より遅れて到着し、内部を案内してくれた。中に入ってみると、前方の祭壇のところがゴシック様式になっているのが分かる。ロマネスクの小規模の教会は外壁が石積みで作られ、木製の小屋組みの上に屋根が葺かれている。12世紀に作られた洗礼盤は花崗岩で作られており、彫刻が施されている。8月に出版された芸術新潮では、「スペインの歓び」を特集しているが、この教会の扉口上部の半円壁(タンパン)に刻まれたキリスト像の写真を1ページの大きさで掲載している。

    

アルティス村の「サンタ マリア教会」
  次にローザさんが案内してくれたのは、アルティス村の「サンタ マリア教会」。ポーチのアーチが6層になっており奥行きがあるのが特徴である。ここではタンパンや柱頭は見られない。この教会は中心に信者の座る席「身廊」があり、両側に柱があり、その外側に「側廊」のあるの3身廊形式の平面型で、単身廊形式のものより規模が大きい。内部には9世紀から10世紀に作られたプレロマネスクの洗礼盤があり、これにはレリーフが施されていないシンプルなもの。祭壇の周りには15世紀になってから描かれた、聖母マリアの誕生や死などの物語が書かれている絵があった。教会を後にしたとき、後方から5時の鐘の音が聞こえた。
サラルドウ村のロマネスク教会
  3番目にローザさんが案内してくれたのは、サラルドウ村のロマネスク教会。入り口のポーチはなく、半円のアーチは4層になっている。この教会では、95年から98年に修復が行われた時に、16世紀に描かれた壁画が発見されたという。内部をひととおり見た後、教会の外部を一周してみる。軒下に彫刻がたくさん取り付けられおり、それぞれが意味を持っているそうである。時間がなくそのすべてを写真に収めることは出来なかった。6時の鐘の音とともに教会を後にした。

  6時半過ぎに、カタローニャの北西部で国境に接しているビエヤに到着。ビエヤはアランの谷と呼ばれるところで標高は970M。スペイン側が分水嶺を越えてフランス側に入り込んでいる地域で、渓流の流れはすべてガロンヌ川に入りフランスへ抜けてビスカヤ湾に注ぐ。アランの谷の南には3000M級の山があり、かつては陸の孤島だった。1948年に南に抜ける5KMのトンネルが開通したことで、アランの谷は保養地として発展した。人口3100人、夏季と冬季には2倍から3倍にもなるという。   
  ビエヤの街を抜けて小高い丘の上にあるホテルに到着。最初の夜に、お城をホテルに改装したパラドールに宿泊したが、その夜のホテルもパラドール。このパラドールは、お城でもリゾートでもなく、ごく普通の上等のホテルだった。


■(その10) ブイ谷の世界遺産 ロマネスク教会

 ピレネーの8日目の朝、アラン渓谷のビエヤのホテルを9時に出発。N-230を南下しすぐに5KMのトンネルをくぐる。出発時は一面ガスの中だったのがトンネルを抜けると天気は快晴に変わった。さらに南下して左折しL-500を走り10時少し前にブイ谷のバルエラ村に到着。
  ブイ谷はノゲラリバゴルサナ川に流れ込むノゲラデトルの流れに沿っている谷あいで、10世紀頃からの遺跡が残されている。12世紀当時の各集落にロマネスク様式で教会が作られ、現在まで残されたそれらの建築が2000年11月に世界遺産(文化遺産)に指定された。以降に道路なども整備され、案内に必要な資料なども準備されてきた。カタルーニャ地方全体では、150年間に作られてその痕跡を確認できるロマネスク様式の教会が、少なくとも2000ほど存在しているそうである。

  虔之介さんはインフォメーションでブイ谷のロマネスク教会の案内図と教会のリストをもらってきてくれた。折りたたみ式の案内図の表紙にはボイ谷の景観とサン・クレメン・デ・タウユ協会の写真があり、案内図を広げてみると、教会や礼拝堂が区別されてその位置を知ることが出来る。教会のリストには、24個の教会や礼拝堂の写真と簡単な説明が書かれている。世界遺産に登録されている9つの教会については他よりも大きく取り上げて説明してあり、簡単な平面図も示されており概要を知るのに役立つ。
  この日はその中の4つの教会とひとつの礼拝堂を見た。今回見た教会は、11世紀から12世紀にブイ谷に建てられたロマネスク様式の教会の中でも初期に立てられた教会である。

Santa Eulalia d’Erill la Vall(6−サンタ・エウラリア・デ・エリュ・ラ・バユの教会)
  教会の前に到着した時ちょうど10時の鐘が鳴った。北面のファサードは美しい曲線の4つのアーチを構成しており、入り口との間に空間がありポーチを保護している。細長い正方形の鐘塔は6層に見えるが、最下層の開口ない部分は層に数えないのでこの塔は5層である。塔のファサードは、11世紀から入れるようになったロンバルジア様式の模様が整然と施されている。聖堂は単身廊で木製のビームが屋根を支えている。後陣はクローバー型の3つの円筒形で構成されている。中央部分は20世紀のはじめに取り壊され1994〜1997年に再建されている。正面に「キリストの十字架降下像」の彫刻のレプリカを見ることが出来るが、11世紀から12世紀に作られた本物はバロセロナとビックの美術館に移され保存展示されている。見学していると10時半の鐘が鳴った。
Sant Joan de Boi(7サン・ジュアン・デ・ブイの教会
  3層の正方形の鐘塔は南西に配置されており、特徴のあるファサードを見せている。最下層は開口部がないので、層として数えない。2層と3層はロンバルジア様式で標準的な形状である。最上層は文様が施されてなく開口の中に鐘を見ることが出来る。この塔の最上部はオリジナルの塔を切り取ってあとで作り変えられたそうである。この教会の入り口は当初、北側にあってポーチがあった。ポーチの入り口の上部の壁面には曼荼羅の壁画が描かれており、現在は外壁にレプリカを見ることが出来る。12世紀に描かれた実物は、カタルーニャの国立美術館(MNAC)にある。鐘塔内部の狭い階段を登って鐘のある層まで行ってみた。開口は以外に大きく、遠くに先ほど行ったサンタ・エウラリア・デ・エリュ・ラ・バユ教会が見えた。11時の鐘を聞いてからブイの村を散策した。
Sant Climent de Taull(9−サン・クレメン・デ・タウユの教会
  この教会は最初に見た時に美しいと思った。南西部に位置している正方形の6層の鐘塔、聖堂、円錐形の屋根を持つ後陣のバランスが良い。中央の後陣の外観はボリューム感もたっぷりとしており、上部には3重のロンバル帯のアーチとぎざぎざ模様が見られる。また石積みのテクスチャーも荒々しいところと整然としたところのバランスも大変いい。入り口は西面に位置しているが、以前はポーチがあったらしい。聖堂は両側に側廊のある3廊型であり、内部の側廊を区切る円形の柱は石積みの模様がレンガ状に見えて美しい。中央の後陣の内壁には有名な、左手に本を持っている「栄光のキリスト」が描かれている。「私は世界の光である」と言っているそうである。絵の中にはラピスラズリーブルーのきれいな色がたくさん使われている。この「栄光のキリスト」は16世紀から17世紀に描かれたもので現地のもんはレプリカであり、実物はバロセロナの美術館(MNAC)に移されている。
Santa Maria de Taull(8−サンタ・マリア・デ・タウユの教会)
  この教会は1123年に建てられた。4層の鐘塔は南に位置しているが、聖堂の中に作られているところに特徴がある。後陣の外観を見ると縦方向の柱らしきものが見えるが、これはデザイン上のアクセントであり石積みの補強である。西面より中には入る。聖堂は両側に側廊のある3廊型であり、内部の側廊を区切る円形の柱の上にアーチがあり屋根の小屋組が乗っている。中央の後陣の内壁には有名な「栄光の聖母子」が描かれている。3人の博士がお祝いに来た様子を描いたものであり、鍵を持っているのがペドロ。「栄光の聖母子」も実物はバロセロナの美術館に移されている。この教会は教区教会として今も機能している。12時半の鐘を聞いてからタウイ村を散策した。タウイ村の住人は約200人とのこと。
Ermita de Santa Quirc de Taull(23−エルミタ・デ・サン・キルク・デ・タウユの礼拝堂
 4つの教会を見てタウイ村を散策したあと、虔之介さんは近くに礼拝堂があるから見に行きましょうといって、バスに乗って数分、歩いて10分ほどのところにある礼拝堂に案内してくれた。礼拝堂は矩形の聖堂と半円形の後陣で作られ、入り口は簡単なアーチが構成されている。内部に入ることは出来ないので外部より見た。この礼拝堂はロマネスク様式の教会の建物の原型といえるだろう。石を積んで外壁を作り、外壁を利用して木材で小屋組みを構成し、その上に屋根を葺くという方法を明快に見ることが出来た。この礼拝堂の壁の石積みも下部に大きな石を積み上部には小ぶりの石が利用されているが、ルール化されているわけでもない。なんとも素朴で親しみやすい。
  礼拝堂は小高い丘の上に建てられているので、裏手からは谷あいの村落を望むことが出来た。エリュを遠くに、バユを手前に、ここからはタウイを見ることは出来なかった。
     
 2時頃からタウユで昼食。エストレイヤというバロセロナのビールとワインを飲み、オニオンスープとパスタを食べる。いつものように2時間ほど昼食を楽しんで4時前に出発。帰りも同じコースをたどり、5KMのトンネルを南から北へ抜けてアラン渓谷のビエヤの街に5時前に到着。1時間ほどの自由時間を得て街を散策した。ビエヤにも大きなサン・ミケル(Sant Miqueu)教会がある。12世紀の後半に建設され、その後幾多の改装がほどこされているという。教会も見て6時にビエヤの街を出発し、小高い丘の上にあるホテルに数分で到着。
 前日からロマネスクの教会や礼拝堂を8つ見たことになり、すべてが交じり合って混沌としていたが、案内図、教会のリスト、教会でもらったリーフレットなどを整理して大切にしまった。


(その11) 聖都モンセラットでカザルスの銅像に出会う

 ピレネーの9日目の朝、いよいよ山を降りる日がやってきた。ビエヤのパラドールを9時過ぎにバスで出発。昨日ボイ谷へ行ったのと同じルートをたどる。5Kmのトンネルを北からへ南抜けてN-230を南下する。前日ボイ谷へ左折したところを過ぎたあたりから、川とも池とも見える水を左側に見ながらひたすら走る。モンセラットに直行すると思っていた。

  10時半頃、N-230がカタルーニャからから西に外れて迂回する地点で、虔之介さんはバスを止めて「朝の散歩をしましょう」といった。バスを降りたところはモンタニアーナという街道沿いの町。古い村を抜けて石造りの橋を渡り石畳の坂道を登っていたら、古い教会が見え隠れし、サンタ・マリア教会がやがて全貌を現した。
 
  12世紀から13世紀にかけて建てられたこの教会はメンテナンスがよくないのか、昨日ボイ谷で見たどの教会よりも荒れ果てて見える。現在は教会の中に入ることが出来ない。南面の西側に位置する入り口のアーチやタンパンのレリーフなどを見た後、右方向より建物を一周してみた。南面の東側に鐘楼があり、東面に後陣の半円形の、北面には方形の出っ張りがある。入り口の位置にもどり建物の平面のスケッチを書いてみた。虔之介さんが、この教会は東西よりも南北に長いのに特徴があること、北面の出っ張りは聖具室であることを教えてくれた。ここは昔お城があったところで、周辺には物見の塔や城壁の遺構が残っているのを見ることが出来る。素朴な石積みの住居の間の石畳の道の坂を下り、石造りの橋を渡って戻ってきた。途中で、ガウディが塔のモチーフとした植物「リデューム」が石垣の上にあるのを見た。虔之介さんに教えてもらって気がついたが、小さくてかわいらしい形をしていた。


  11時半頃に出発。N-230がカタルーニャからから西に迂回して再びカタルーニャに入り、さらに南下してN-IIに入り東方へ向う。高速道路には、有料の「アウト ビスタ」と無料の「アウト ビア」があり、カタルーニャにはビアが多いそうである。ビラグラサで高速道路を下りて昼食。もう一度高速道路にもどりモンセラットに向う。やがて前方に奇岩の山が見えてきた。左に折れて山道を登り、モンセラット修道院のある高台についた。

 モンセラットはバロセロナから北西へ50Kmほどのところに位置する長さ10Km、幅5Kmほどの独立した礫岩で出来た山。最高峰は1238mのジェロニモ。ケーブルで1000mのぼり徒歩約1時間で頂に至る。11世紀に山の中腹(標高720m)にモンセラット修道院が建立され、修道などの場として古くから人の集まる聖域的な場所となっていたが、今ではハイキングやロッククライミングなど自然豊富な山塊としてにぎわっている。モンセラット修道院の前にあるホテルに着いて部屋に入った時に5時の鐘が鳴った。

 一休みしたあと修道院を訪問。列に加わって、祭壇の正面奥の上方に安置されている本尊である12世紀に作られた黒い木彫彩色の母子像を見た。6時半過ぎよりミサに参加した。ここではミサを奉じる少年聖歌隊の合唱(エスコラニア)が有名であるが子供たちはちょうどバカンスに入ったところで、合唱を聞くことが出来なかったのは残念だった。帰りに土産屋に寄り、少年聖歌隊の合唱曲のCDを買った。「鳥の歌」が入っているカタルーニャ民謡曲集を徹心君に頼んで探してもらった。このCDの「鳥の歌」はFrancesc Civilという人が編曲したものである。

 あくる日の朝、ケーブルのサン・ジュアン駅から少し山へ入ったとことにある、チェロを演奏しているパウ・カザルス(Fundacio Pau Casals 、カタルーニャでは、パブロでなくパウ)の銅像を見に行った。カザルスはこの修道院のミサのためにいくつかの曲を作曲している。
  カザルスは1876年カタルーニャに生まれた。スペイン内乱の後フランコ政権が誕生した時、政権に反対するカザルスは、「自由な政府ができるまで、祖国には帰らない」と、39年に国境に近い南仏のプラードに亡命する。そして96歳で母親の生地プエルトリコで亡くなるまで2度とスペインの地を踏むことはなかった。
 
  カザルスは、58年、63年、71年の3回、国連本部のコンサートで演奏している。71年の演奏の様子はテレビ放映もされて有名であり、カザルスのセリフが少しずつ違って書き物として残されている。ここでは、朝日新聞の04年10月2日のbeより引用してみよう。「私にとって平和はいつも最も大きい関心事です。私は長年、皆さんの前でチェロの演奏をしていません。けれども、今日は、弾かなければなりません。カタルーニャの民謡<鳥の歌>です。空に舞い上がる鳥たちはピース(平和)ピースピースとさえずります。バッハもベートーベンも他の偉大な音楽家も、この曲をたたえ愛したでしょう。わが祖国、カタルーニャの魂だからです」。
 後日、我が家のVTRの中から58年の国連デーでカザルスが演奏している映像が見つかった。NHKが放送したモノクロの番組「20世紀の名演奏家たち」の録画である。ここでは演奏を始める前に「これはカタルーニャの民謡です」とひとこと言って演奏を開始している。

 夕食には、徹心君がメンバーのリクエストにより予約をしてくれたパエリアを食べた。これは相当塩辛い味付けだった。食後に皆が感想などを言い合う時間を持った。モンセラットのお店で、虔之介さんがソルソーナに住んで8年後に書いた「カタルーニャの四季」を購入できたので、今年の4月に書いた「カタルーニャを見る日本人たち=カタルーニャ 美しさと強さ 」の2冊にサインをしてもらった。その夜は旅の最後の夜だった。


(その12) 山を降りてバロセロナのまちへ、そして帰途に

 いよいよ旅の最終日になった。9時にモンセラットのホテルを出発。10時過ぎに200万都市のバロセロナのまちに入る。広い通りには復活した路面電車も走っている。午前中はピカソ美術館が主な目的だったが、少し時間があったので、ガウディのサグラダ・ファミリア教会にバスを回してくれた。降誕のファサードの見える正面に数分間バスを止めてもらい、車窓より教会の正面の全貌を見た。細江英公の写真集「ガウディの宇宙」の写真で詳細に見たキリストの降誕のレリーフなどキリスト生誕の物語を遠くに見た。バスは教会のあるブロックを1周し出発。徹心君は運転手さんに指示して、ガウディが設計した、「カサ・ミラ邸」と「カサ・バリョ(カサ・バトリョ)邸」の前を通るようにバスを迂回させてくれた。私がガウディについて最初に知ったのは1961年のこと。今井謙次先生の授業は毎回ガウディだった。建築を学ぼうと新鮮な時期に知ったガウディは強烈だった。以来、ガウディには興味を持ってすごしてきた。今回は、「花とロマネスク教会」がテーマだったので、ガウディについては改めてしっかり向き合ってみたいと思う。

 

 少しはなれたところでバスを降りて、治安がよくないといわれている通りを抜けてピカソ美術館へ行った。ピカソ美術館は1963年に開館し、1981年に修復・増築されている。ピカソが画家として大成する前に一学生としてバロセロナにやってきて1895年から1905年まで家族と一緒に住んだ。彼の修行時代に学んだ学校であるロッチャ美術学校、実際に絵を描いていたアトリエや友人たちと遊びまわっていたバーやナイトクラブが現在も息づいているそうである。このようなところにピカソ美術館が存在しているところに、この美術館の価値を見出す。今日、ピカソの絵は世界中で見ることができるが、修行時代の作品を見ることができる最高の美術館となっている。ここでは、ピカソの絵画・版画・デッサン・陶器などが時代別に作品展示してある。青の時代(19011904)に描かれた肖像画もたくさん見ることができ、バラ色の時代への移行を連続してみることができるのも興味深いものだった。
  1時間ほどピカソ美術館で過ごした後、街のレストランで最後の昼食。空港へ行き、来るときとは逆ルートでバロセロナからアムステルダムを経由して成田に戻った。

 

 
                            


<エピローグ>

 ビエヤを出発してからモンセラットに泊り、バロセロナに短時間滞在し、空港に行って成田へ戻ってくる間ずっと気になっていることがあった。しばらく時間が経ってから、この旅日記の2回目まで書いたときに虔之介さんにメールのやり取りをした。その内容を以下に示すことで、この旅の記録の終りとしたい。

 

【生部から虔之介さんへ】

虔之介様

 こんばんは。こちらは夜です。早いもので、帰国して3週間経ちました。毎日の雑用の中で、少しずつ整理をしながら旅を振り返っています。「カタルーニャをみる日本人たちカタルーニャの美しさと強さ」の発表会は成功裏に終わりましたでしょうか?

属しているNPO「自立化支援ネットワーク(IDN)」のメルマガの編集後記に小文の連載開始し(その2)まで書いてしまいました。最終回の一部を先取りして書きましたが、何かコメントをいただけますでしょうか?

<最終回の一部>

526日に旅行の参加者10名のうち9名が集い、顔合わせと簡単な食事会を催した時に、最終行程についての変更をお願いしようということになった。当初の計画では、最終日にピレネー山中のビエヤよりバロセロナの空港へ直行し帰国の途につくことになっていた。変更案では、前日にビエヤとバロセロナの間でバロセロナに近いところにあるモンセラットまで移動し、最終日にバロセロナ市内で時間を取りたいという希望を出して、サクラダ・ファミリア教会を訪問することに計画を変更してもらった。結果的にサクラダ・ファミリアはバスで周辺を一周し、ピカソ美術館で時間を過ごした。
 
もし当初の計画通りにビエヤで2泊したら、世界遺産のボイ谷を訪問した次の日に虔之介さんはどんな計画を準備してくれていたであろうか。もしかしたら、虔之介さんの計画は、意図的に「まち」を避け、カタルーニャのピレネー山中に徹する計画ではなかったか、それが虔之介さんの美学ではなかったのか、帰りの飛行機の中で今回の旅を振り返っている時にそんな気がしてならなかった。せっかくの虔之介さんの「こだわりの案」を壊してしまったのではないか。そして、もっと奥の深いすばらしい体験の機会を逸したのではないか。

 

【虔之介さんから生部へ】

最終回へのコメントということですが,計画としてはやはり小さな教会を,世界遺産ではないけれど訪ねてみようかなと考えていました。しかし,あまり一時に全てをというと消化不良ということにもなりかねません。そのような点ではモンセラットも良かったのかもしれません。ただし,モウ1日でもじっくり滞在できれば,ベネディクト修道院の内奥に入り込めて,もっとよかったと思いますが。そして<街>は,ある意味でいずこも同じです。できたら避けたいところです。ピカソもガウディも,どのような視座で見るかという個人内の位置がきちんとしていない限り,見たことにはなりません。今回の旅は<花>ですから,なおさらその辺が気になっていました。

 

【生部から虔之介さんへ】

ベネディクト修道院の内奥の件は残念でしたが、モンタニアーナからのアプローチと丘の上の「サンタ・マリア教会」の印象は強烈でした。ピカソについては、あれだけ纏めてみることが出来たのは、良かったと思います。特に青の時代の作品について、日本にあるものでは、広島美術館の「酒場の二人の女」と箱根にできたポーラ美術館にある「海辺の母子像」などがすきですが、美しさにのみ惹かれており、今回はピカソの青の時代の本質に触れることが出来た気がします。ありがとうございました。毎日が実りあるいい日でありますように。【完】

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