謂れとかたち
成田山新勝寺の光明堂の龍の扁額-2-倶利伽羅剣

光明堂
光明堂は元禄14年(1701)に建立された「旧本堂」
当初は「明王堂」、「元禄の本堂」とも呼ばれたなりたさん二代目の本堂
新本堂が建立されるまでの約1世紀半に亘り成田山信仰の拠点となった
屋根は入母屋造り瓦葺きで、周囲には朱漆が塗られている
華やかな江戸元禄文化の雰囲気を残す貴重な建物で、国指定重要文化財に指定されている
安政年間(釈迦堂が造営された1858年頃)の再度後方に移築の際東向きから南向きになった
縁側と外陣の床を撤去して土間とする改造が施され
釈迦堂の様にあった回廊も取り外して現在の形になった

光明堂の棟札には[彫物師嶋村圓哲]の名前がある
嶋村家の二代目圓哲は左甚五朗の再来といわれた名人

堂内には、正面に大日如来、向かって左側に不動明王、右側には愛染明王を奉安
愛染明王は、人々に良縁を授ける神様で、素敵な出会いをもたらし、
恋愛成就の手助けをしてくれると言われている

成田山新勝寺 本堂の変遷
建立 呼称(創建時) 呼称(現在) 備考
初代 明暦 1年(1655) 成田山本堂 薬師堂 明暦の旧本堂を改称 1701年と1855年に移転
二代 元禄14年(1701) 旧本堂 光明堂 当初は「明王堂」、「元禄の本堂」とも呼ばれた
三代 安政 5年(1858) 新本堂 釈迦堂 昭和39年(1964)に現在位置に移転
四代 昭和43年(1968) 大本堂 大本堂


光明堂 正面

外陣
安政年間(1858年頃)の釈迦堂が造営された移築の際
縁側と外陣の床を撤去して土間とする改造が施され、現在の形態になっている


光明堂の外陣  倶利伽羅剣の奉納額は左端にある

扁額-2 倶利伽羅剣
倶利伽羅剣を中央に
扁額の周辺に龍の彫刻が施されている

倶利伽羅剣
扁額には「天国宝剣(あまくにのほうけん)」を模したと思われる倶利伽羅剣が収められている
平将門の乱を鎮めるために朱雀天皇から寛朝大僧正へ下賜されたという宝剣
霊宝が現在の成田山の御本尊である不動明王と、天皇の守刀である天国之宝剣と伝えられている

倶利伽羅剣(くりからけん)は、三鈷剣(さんこけん)とも呼ばれ、不動明王の立像が右手に持つ剣
三昧耶形では不動明王の象徴そのものであり、貪瞋痴の三毒を破る智慧の不動明王利剣
倶利伽羅竜王が燃え盛る炎となって剣に巻き付いた姿で描かれることから、この名がある
貪(とん:必要以上な事を求める心)・瞋(しん:怒りの心)・癡(ち:真理に対して無知なこと)


扁額 外陣の左端にある


扁額 部分


龍の彫刻(左上)


龍の彫刻(左下)

住所:千葉県成田市成田1
撮影:2024年12月

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