甦ったパーカー51
【メルマガIDN編集後記 第264号 130415】

 これまでに何本かの万年筆を持ったが、印象に残っているのは、親から最初に買ってもらった万年筆である。パイロットの古いタイプを所有している。万年筆使うことは少なくなったが、パーカー51は封書の宛名書きに長いこと使っていた。ある日、パーカー51のインクの吸入が出来なくなって焦った。修理に持ち込んだ丸善では、パーカーにはこの万年筆の部品のストックがなく、修理は不可能だと言われたが、銀座の奥野ビルにある《ユーロボックス》という会社で修理してもらい、甦った。


パイロットの古い万年筆


軸に 小城郡三日月村大地町 生部圭助 と彫ってある


ペン先が軸に埋め込まれている部分に、1056と刻印されている
これが1956年10月に製造されたことを意味している
丸印は浮き輪ではなくJISマーク



修理をお願いしたユーロボックスの受付


PARKER 51 2代目
特に豪華な仕様ではなく、樹脂軸と金張りのキャップの組み合わせ


ペン全体にP51ムスタング戦闘機のシルエットを採用
P51ムスタング戦闘機は第二次世界大戦で活躍した
独特のシルエットが魅力的


吸引部を取り外しているときに破損した
破損し交換したものも返却してもらった


交換された新しいもの
軸の右端も変化している(製造時期の差)


交換された新しいフィラーの刻印
TO FILL
PRESS RIBBED BAR
FIRMLY 4 TIMES
HOLDING PEN POINT
DOWN, WIPE POINT
WITH SOFT TISSUE.
USE PARKER INK.
THE PARKER PEN COMPANY
MADE IN U.S.A.


ペン先は首軸に殆どが隠れたフーデッドになっている

インクタンクから紙にいくまでにインクが乾くのを防ぐため
パイロットの古い万年筆
 手元にあるパイロットの古い万年筆がある。この万年筆には、「小城郡三日月村大地町 生部圭助」と彫ってある。入学祝いに買ってもらったものと記憶しているが、何十年も使うこともなく今日まで残っているのが不思議である。(小城郡三日月村は佐賀県にある)

 大正4年(1915)に並木良輔が設立した並木製作所がパイロットのルーツ。大正7年に和田正雄とともに同名の株式会社を設立し、万年筆製造業者となる。万年筆の水先案内人、先頭第一人者、世界第一番の万年筆会社にする、という信念でパイロットと名付けた。
 商標の浮輪は、どんな海難にあっても浮き輪を身に付けていれば浮沈、不屈の精神で事業に取り組む、との意味が込められている。

 京橋(東京都中央区)にあるパイロットの《PEN STATION Museum》にこの万年筆を持って行った。ちょうど平塚に戻ろうとしていたペンドクターのHさんが引き返してカウンターの向こう側に座り、見てくれた。
 Hさんはペン先を軸から取り外して、虫眼鏡で見て、このペンは1956年10月に製造されたものと教えてくれた。ペン先が軸に埋め込まれている部分に、1056と刻印されており、これが1956年10月を意味すると説明してくれた。

パーカー51
 パーカーは、1888年にアメリカで、ジョージ・S・パーカーが創業。インク漏れ防止装置《ラッキーカーブ》で人気を博し、以来、筆記の名品を世に送り続けている。S・パーカーは「常により良いペンを作ろう。そうすれば人々は認めてくれる」との信念により、パーカー51やパーカー75が、第二次世界大戦後のペン市場を席巻した。
 
 《Parker51》の命名の由来は、Parker社の創業51周年目にあたる1939年にこの万年筆の設計が完成したことよる。販売期間が1941年から1977年頃までの36年間のロングラン商品であり、2千万本が販売されている。我が国へは終戦後、進駐軍の物資としても大量に入荷した。

 パーカー51は、ペン全体に、第二次世界大戦で活躍したP51ムスタング戦闘機のシルエットが採用され、本体の素材には、当時のプロペラ機の円錐頭に使用された、軽くて強く光沢のあるアクリル樹脂の一種、《ルーサイト》が採用されている。天冠(キャップの先端)には、透明感のある白っぽいストーンが取り付けられている。軸の突端には呼吸のための穴が開いる。

 パーカー51は、形状や機能の改良がなされて4タイプに分類され、通称として《Parker51の4兄弟》と言われている。ここに紹介する私のパーカー51は、1950年頃以降のタイプ2であり、縦縞模様が入っている金張りのキャップで、矢羽のデザインのクリップは、やや短めのサイズである。
 ペン先の大部分は、首軸に隠れているので、外からは細部は見えないが14金のペン先が使われていると想定される。

 吸入機構は、パーカー51としては、第二世代の吸入機構である《Aeromatic Filling System》が採用されている。サックには、30年以上の耐久性を見込んだデュポン社製の《Pli-Glass》が使われているとのこと。吸入機構のフレーム(フィラー)には、モデル名を表す「PARKER "51"」と言う刻印の他、長文の説明も刻印されてる。(写真参照)
 後述するように、今回フィラー部分も全部交換することになり、新旧のフィラー部分の刻印を比較してみると若干異なった表示になっている。

パーカー51のトラブルと甦り
 パーカー51を1965年頃に使い始めて、20年か30年たったころであろうか、インクの吸入が出来ないという、今回と同じトラブルがあった。パーカーの電話を探して、電話口に出た担当の方に事情を話したら、吸引部分のスポイドの劣化が原因とのこと。30年以上の耐久性を見込んだデュポン社製の《Pli-Glass》の劣化か、取り付け部分の故障と推測される。指定されたところへパーカー51を送ったら、間もなく修理をして送り返してもらった。修理代も無料、とても親切な対応にうれしい気持ちになったのを記憶している。

 今回は壊れたパーカー51を丸善へ持って行った。担当してくれた女性は、パーカーに問い合わせてくれたが、この万年筆の部品のストックがなく、修理は不可能だと言われた。付けペンとして使うほかないかと途方に暮れたが、丸善の女性は、もしかしたらこちらで修理してもらえるかもしれないと言って、銀座にある《ユーロボックス》という会社の住所、電話番号、営業日などをメモに書いてくれた。
 早速、奥野ビルにある《ユーロボックス》を探して訪れた。修理はできるが、混んでいて修理には2~3か月要するとのことだった。パーカー51の修理を依頼して戻った。

ユーロボックス
 ユーロボックスという会社は、「ヴィンテージ万年筆を安心して使っていただきたい、気持ちよく使っていただきたい」ということを常に考え、これから先も変わらない最重要テーマとしている。

 ユーロボックスは、1910年ごろから1970年代までのヴィンテージ筆記具全般(万年筆、ペンシル、ボールペンなど)、蒔絵万年筆、市場で見かけなくなった廃番品および現行品・中古品、エフェメラ類(ポスター、雑誌、カタログ、チラシ、ポストカード、インク瓶、メーカーが作った販売促進グッズなど)を扱っており、独自にこれらの万年筆の部品も保持して、オーバーホールや、調整を行い、より理想に近い万年筆を提供している。

 3か月経っても音沙汰がないので電話をしたら、間もなく連絡があった。吸引部を取り外しているときに接続部を破損してしまったとのこと。
 結果的にパーカー51の外観は以前と同じであるが、内部の主要部分が全交換となった。破損した部位もすべて返却してくれたので、50年も前のものが今も手元にある(写真参照)。
 ということで、申し訳ないことに《ユーロボックス》に多大の負担をかけることになってしまった。

エピローグ
 2002年11月下旬に、パーカーからパーカー51が発売当時のデザインテイストそのままに、現代に復刻され特別限定品が発売された。
 パーカー51スペシャルエディションは、ヴィスタブルーとブラックの2タイプが用意されており、各色200本の限定販売となった。翌年の4月末には一旦売り切れとなり、要望が多く5月下旬に再び入荷。スペシャルエディションの標準価格は税込で52,500円だったそうである。

 戦後、進駐軍として日本へきた兵士たちの多くがパーカー51持っており、故郷への手紙を書くのにこのペンを使っていたとのこと。これはパイロットのペンドクターのHさんのお話。

 この編集後記を書くためにユーロボックスのサイトを見に行ったら、「ただ今修理仕掛り品が滞留しているため、しばらくの間、受付を中止する」との案内が出ていた。タイミングを失したら、時計(グランドセイコー)とチューナー(TU-777)に続いて、パーカー51は甦ることがなかったかもしれない。
編集後記集