沖縄で出会った龍~その2 那覇市と浦添市にて
【メルマガIDN編集後記 第307号 150201】

 龍楽者としては、かつてより沖縄の龍を見たいと願っていた。2014年11月末に那覇へ行く用があり、2日間の仕事の前後に、念願だった龍を見る機会を得た。那覇市内と無理して足をのばした浦添市で、首里城の龍の他たくさんの龍を見ることが出来た。今回は、那覇市と浦添市で出会った龍を紹介する。


達磨峰西来院(達磨寺)の龍の天井絵 直径:約3m


明治橋の親柱の龍


泊港橋の親柱の龍  橋の欄干部分は龍の胴体に見立ててある
バックに泊港が見える



営奥武山運動公園の池に置かれた虎と対峙する龍


龍の飾りのある甕型厨子と御殿型厨子


ドラゴン公園の巨大な龍(浦添市前田)

龍の全長:18.5m、高さ:7.8m


沖縄地料理 龍潭国際通り店


龍を冠した沖縄の泡盛

達磨峰西来院(達磨寺)の龍の天井絵
 首里城の近くにある達磨寺は、
1611年に尚寧王より現在の首里儀保町内に広大な寺域を賜って創建された拝領寺で、現在地に移転したのは明治初期頃のこと。現在の寺院は、3回目の建て替えを行い平成12年(2000)に落成した。
 達磨寺は首里十二箇所(十二支の守本尊寺)霊場の結願寺である。大寺院でないお寺に立派な龍の天井絵があるのは驚き。
 お寺の由緒については、住職に教わったが、龍の天井絵を誰が描いたかについてはわからないとのことだった。

明治橋と泊港橋の親柱の龍
 明治橋は沖縄県那覇市にある長さ128m、幅31.5m、片側3車線の橋であり、那覇空港・沖縄本島南部と那覇市街地・沖縄本島中北部とを結ぶ沖縄県の大動脈に架かる道路橋である。明治16年(
1883)に最初の橋が完成し、現在の橋は4代目(戦後2代目)で昭和62年(1987)3月に完成した。

 泊港橋は沖縄県那覇市の泊港に、331号線と平行にかかっている片側一車線程の橋であり、昭和63(1988)年3月に完成した。橋の欄干部分は龍の胴体に見立ててある。

 二つの橋の欄干の親柱(4か所)に龍の彫刻がおかれている。親柱とは、橋の欄干の端にある柱のことであり、親柱に橋名が彫られることが多い。

奥武山運動公園の池に置かれた虎と対峙する龍
 営奥武山(おうのやま)運動公園は、沖縄県初の運動公園として昭和34年(
1959)6月に開設された。この公園の中心部に池があり、池の両側に対峙した龍と獅子の彫刻がおかれている。

那覇市立壺屋焼物博物館で見た《厨子》の龍のレリーフ
 那覇市立壺屋焼物博物館は、沖縄の土器や陶磁器を中心に紹介する博物館。ここで《沖縄宗教藝術の精華 厨子展》が開催されていた。

 沖縄では、古来より死者を崖下や洞窟に運んで風葬にする風習があった。風葬のちに洗骨と呼ばれる遺体の骨を洗って、遺骨を蔵骨器に納める風習へと発展した。この蔵骨器が《厨子》と呼ばれる。
 厨子甕は元来、人目に触れるようなものではなかったが、廃藩置県後、まずバジル・ホール・チェンバレンによって、その芸術的、民俗学的価値が高く評価され、昭和に入り、柳宗悦や濱田庄司等の民芸運動を通して沖縄陶器を代表するジャンルの一つとして、その芸術的価値が認められるようになった。

 博物館では、門上秀叡・千恵子コレクションとして約200点の厨子を所蔵しており、今回はその中から16世紀~近代の沖縄の厨子70点を展示していた。
 厨子の形状には、板厨子(木棺)、石厨子、甕型、御殿型等がある。本展では龍をあしらったものとしては、甕型厨子と御殿型厨子がそれぞれ一種展示されていた。

 甕型厨子の胴部には瓦屋根付きの入口の張り付けがあり、蓋は笠状で頂上に宝珠のような形のつまみが付いている。

 家型をした陶製厨子甕を御殿(うどぅん)型と呼ぶ。18世紀前半から、それ以前の石厨子をそのまま陶製にしたような形をしている《赤焼御殿型厨子》が御殿型の最初に出現し、次に登場する《荒焼御殿型厨子》は全面にマンガンを掛け黒っぽく焼締めしている。徐々に装飾が豊富になり、庇の付く厨子も成立し、龍、獅子、牡丹などの模様が貼り付けで表現されるようになる。
 そのあと釉薬を掛けた《上焼本御殿型厨子》が登場する。化粧掛けの上に、飴釉(飴色)、緑釉(緑色)、呉須(コバルト色)を用いた色彩豊かなものが多く、装飾もさらに豊かになる。

 写真で紹介する御殿型厨子(マンガン釉箱型厨子 壺屋焼)は19世紀後半に作られたものである。

ドラゴン公園の巨大な龍(浦添市)
 ドラゴン公園は、浦添市前田にある小規模の街区公園。ドラゴン公園では、小さなかわいい龍が入口で出迎えてくれる。奥におかれている巨大な龍は、滑り台(頭の方から昇り、尾の方へ滑り降りる)にもなっており、お腹よりブランコが2つ吊るされている。

 後日、浦添市の美らまち推進課より教えていただいた内容を要約する。ドラゴン公園は遊びをとおして、子供たちの豊かな創造性と好奇心を育むことを目的にして作られ、ドラゴン公園のシンボルとしてこの巨大な龍が計画された。
 平成5年に完成し、平成6年度より使用されている。公園の面積は
1,737平方メートル、龍の全長(鼻先から尾の先端までの直線距離)は18.5m、地上より角の先端までの高さは7.8mとのことだった。

沖縄地料理 龍潭国際通り店(那覇市)
 沖縄の地料理と泡盛を期待して、龍が店名にある《龍潭国際通り店》に行った。ここでは本格的な沖縄料理と豊富な泡盛などを楽しむことが出来る。
 豆腐よう(島豆腐を米麹、紅麹、泡盛によって発酵・熟成させた発酵食品)、グルクンの唐揚げ(沖縄県魚でもあるグルクン(和名:たかさご フエダイ科の魚)をから揚げにしたもの)、ソーミンチャンプルー(固めに茹でた素麺(ソーミン)を少量の油とニラやネギなど少量の薬味野菜、ポークやベーコン、トゥーナなどを一緒に炒めたもの)を食べた。

 泡盛は、名前に龍がある30度の龍泉酒造の《龍泉ブルー》をメニューのなかより選んだ。
 龍潭国際通り店の1階では島唄三線ライブが行われており、聴きなれた沖縄の歌も演奏されていた。

龍を冠した沖縄の泡盛
 那覇市内には、泡盛の販売専門店がたくさんある。牧志の《沖縄物産かりゆし道》で、
神谷酒造所の《光龍》の九年・六年・三年もののセットを購入した。
 泡盛についての話の中で、私の龍への興味に理解を示してくれて、お店を仕切っていた神女(神名:尚弥さん)が、お店の棚より龍の冠をつけた泡盛を全ておろして並べてくれた。

エピローグ
 龍との出会いの中で、龍に関する雑学をすることも忘れないようにしている。今回の最大の雑学は沖縄の《厨子》について。
 仕事が終わって、沖縄の焼物を見る目的で那覇市立壺屋焼物博物館へ行った。6時の閉館に間に合って、予期していなかった《沖縄宗教藝術の精華 厨子展》を見ることが出来た。説明のパネルも充実しており、沖縄の埋葬の風習や厨子について知ることが出来た。
 今回展示されていた70点の厨子の中で、明らかに龍と見える装飾が飾られた厨子は2点だけだったが、素朴な形と美しい着色をされた御殿型の初期の厨子には興味をそそられた。

 ここに紹介しているものの他にも、沖縄で出会った龍(首里城も含む)、および初期の御殿型の石製厨子や赤焼御殿型厨子も紹介しているので、下記よりご覧いただきたい。

龍の謂れとかたち 特集 沖縄で出会った龍

編集後記集へ