浅草の龍を訪ねてまち歩き
【メルマガIDN編集後記 第312号 150415】

 浅草ではたくさんの行事が行われるが、私が浅草を訪れた主な目的は、浅草寺の《金龍の舞》を見るためだった。金龍が練り歩く道程や途中での所作は、春と秋、年によって異なっているようで、その全貌を見るために数回浅草に通った。撮りためた写真を基にホームページを作成し、DigiBookを制作した。そのほか、今回紹介する龍を見て、写真を撮るために何回か浅草を訪れた。浅草は龍楽者にとって龍の宝庫ともいえるところである。まず、浅草寺からまち歩きを始めよう。


金龍山浅草寺の雷門


宝蔵門の提灯の彫刻


偶然、金龍の頭部と尾が接近


浅草寺の本堂天井の龍之図


浅草神社の飛龍


風祭竜二の切画をもとにした陶板レリーフ


陶板レリーフ《浅草の祭り》 右部分


浅草寺と雷門
 通常《浅草寺》と呼んでいるが、正式には《金龍山浅草寺》というだけあって龍にまつわることがたくさんある。雷門の提灯をくぐって浅草寺の仲見世通りを本堂(観音堂)に向かって歩く。雷門は、左右に雷神と風神を安置してあるところから、正しくは《風雷神門》という。慶応元年(
1865)の火災に遭って以来、昭和35年に再建されるまで、約100年近く雷門は幻の存在だった。

浅草寺の提灯の底にある龍の彫刻
 雷門、宝蔵門、本堂に大きい提燈がある。この3つの提灯のいずれの底部には龍の彫刻が施されている。雷門の提燈の下を歩きながら上を見上げると提燈の底に龍の彫刻が見える。提燈の底までの高さは2メートルほどで、すぐ近くに見ることが出来るが、ほとんどの人は気がつかないで通り過ぎる。
 本堂の東側の二天門の提燈の底にも龍の彫刻があったが、二天門が新装なった時に提灯が取り外されて今は見ることが出来ないのは残念である。
 これらの大提灯の底の部分の雲龍彫刻の製作者は渡邉崇雲。大正13(
1824)年に東京都墨田区に生まれ、本名を孝男という。

浅草寺の《金龍の舞
 仲見世を歩きながら左に見る伝法院は浅草寺の院号だったが、現在は住職の居住する本坊の称号になっている。建物の背後には、大泉池を中心とする廻遊式庭園があり、江戸時代初期の築造で、小堀遠州作と言われる。
 浅草寺では、金龍の舞、白鷺の舞、福聚の舞の3つの舞が境内で披露される。金龍の舞は3月18日・10月18日・11月3日の3回行われ、金龍はこの伝宝院を出発し、ここに戻ってくる。

浅草寺の手水舎
 浅草寺の本堂(観音堂)の右手前にある手水舎は規模が大きい。水鉢に8体の龍が円形状に配置されていて、それぞれの口から水を注いでいる。
 水鉢の中央には高村光雲作の《沙竭羅竜王像(さからりゅうおうぞう)》が立っており、像の体から頭にも龍の彫刻が絡んでいる。
 なお、この手水舎の天井にも龍の絵が描いてあるので、お清めの後にご覧いただきたい。

浅草寺の本堂天井の龍之図
 本堂(観音堂)の外陣に入り、賽銭箱の正面に立ち、真上を見上げると3枚の絵がある。3枚の真ん中の龍の絵が、川端龍子筆の《龍之図》である。床のタイルの寸法を物指し代わりにして天井の龍図の大きさを測ってみたら、短い辺の長さが5.4mであることがわかった。
 川端龍子筆の龍の天井絵は、池上本文寺の《龍之図》、目黒不動尊大本堂外陣の《波涛龍図》がある。

浅草神社の飛龍
 観音堂から東に歩くと、浅草神社がある。明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に。浅草神社は今もなお、《三社さま》として親しまれている。
 拝殿の建物のかもいの上の壁に《飛龍》や《麒麟》の絵が掲げられている。飛龍や麒麟の単体、飛龍と麒麟が対峙している絵が建物の四周に、全部で20枚飾られている。
 飛龍は水を司る霊獣とされている。体が魚で翼をもち、胴が短く、尾ひれがあり、龍のかたちとしては珍しい部類に入る。

鎮護堂の手水場
 浅草神社から仲見世通りを横切って、伝宝院通りを西に歩くと右に、鎮護堂という表札が出ている小さな門が目につく。浅草奥山に住み着き、いたずらをする狸が、伝法院を火災から守りましょうと言うので、明治16年(
1883)に鎮護大使者として祀った。境内には、小さなお堂、お狸さまの2体の像、水子地蔵尊がある。手水場にある口から水を注いでいる龍は古くて、素朴なもの。

暖簾の店《べんがら》
 鎮護堂を出て伝宝院通りを引き返し仲見世通りを横切って、柳通りを東へ歩くと、メトロ通りとの交差点に、のれんの専門店《べんがら》がある。ウインドウを覗いたら藍染の龍柄の暖簾が展示してあった。ギョロリとした目を持つ精巧な龍が藍色で一面に描いてある。龍柄の暖簾は一例であるが、《べんがら》では350種類の暖簾の注文販売をしている。

とらんくすや
 仲見世通りと平行した静かで昔の面影のある風情のあるメトロ通りを雷門通りへ向かって歩くと右側(西側)に《とらんくすや》がある。「男たるもの常に吉祥紋を身に着けるべし」と言うことで、鯉(登竜門)・唐獅子(優美と猛勇)・青海波(平穏な波は吉祥の印)などの吉祥模様を印刷したトランクスを販売している。その中に龍の図柄のトランクスもあり、龍柄には「龍の雲を得る如し、龍は一気に昇天す」と説明がある。

土産店

 仲見世通りやメトロ通りを歩くと、面白い店がたくさんある。踊り衣装・着物・帯・袴などを扱っている富士屋の店頭でガウンの背中描かれた龍を見つけて写真を撮らせてもらった。

 三美堂では《東方神青龍》の色紙を買った。龍は四神のひとつとして東方と春を守護する霊獣であるとの説明がある。

 雷門のすぐそばに黒田屋がある。ここでは、《十二支土鈴》やと《干支和紙人形》を求めた。黒田屋では龍の小物がないか物色する。

風祭竜二の切画と陶板レリーフ
 伝法院通りを西に歩いて、花やしきの近くに《ウインズ浅草》があり、競馬のある日は、周辺の町中が賑わう。
 ウインズ浅草の1階の柱に、風祭竜二の切画《浅草三十六景》が飾られている。浅草三十六景のひとつが『金龍の舞』。競馬をやらないものには踏み込むのに勇気がいるが、競馬が開催されている日には、自由に内部を見ることが出来る。
 また、ウインズ浅草の外壁には切画を基にして制作された陶板壁画《金龍の舞》と《三社祭》が飾られている。

陶板レリーフ《浅草の祭り》
 浅草で龍を訪ねてまち歩きの帰り道、東京メトロ銀座線の浅草駅の改札口のすぐそばで陶板レリーフ《浅草の祭り》を見る。この陶板レリーフは平成2年(
1990)5月に公開されたもので、浅草の祭りをテーマに浅草の伝統・年中行事を群集の流れで表している。
 原画は吉田左源二、企画・制作は帝都高速度交通営団、(財)日本交通文化協会、協賛は浅草おかみさん会・浅草観光連盟・浅草商店連合会・他19店舗、とある。

エピローグ
 実は、メルマガIDNの第123号(
2007年5月15日)と第147号(2008年5月15日)の編集後記に、《浅草まち歩き》を書いている。今回は、この2回分を要約し、その後浅草で出会った龍を加えた。
 編集後記で龍に関して書いているものは、ホームページ《龍の謂れとかたち》がベースになっている。昨年末から、編集後記とホームページをもとに、読み物風の冊子にしたいと作業を始めているが、遅々として進んでいない。今回の《浅草で龍を訪ねてまち歩き》もこの冊子に収めたいと考え、冊子の形式で書いたものである。


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