龍のコンサート三昧~40年を振り返る~
【メルマガIDN編集後記 第329号 160101】

 海外で最初にコンサートに行ったのは1973年に海外出張の時に行ったロンドンのロイヤルフェスティバルホール。会社時代とリタイヤ―後に欧米のホールにコンサートを聴きに行った。会社時代の出張の時には昼間に仕事をして夜はコンサート、リタイヤ―してからはねらいを定めて、コンサートのために海外に出かけた。コンサート三昧の40年ほどを振り返ってみたい。


ムジークフェラインザール(ウィーン)


フィルハーモニー(ベルリン)


ヤンソンスの指揮 ベルリンフィル バイエルン放送合唱団他
ヴェルディの《レクイエム》  フィルハーモニー(ベルリン)


アバドの指揮、ポリーニのピアノ、他でベルリンフィルコンサート
野外音楽堂として有名なヴァルトビューネ(ベルリン)


ブレンデルのピアノリサイタル ドボルザークホール(プラハ)


ドレスデン国立歌劇場(ゼンパー オパー) フィガロの結婚を鑑賞


ティーレマン指揮、ポリーニ、ミュンヘンフィル ガスタイク(ミュンヘン)


ゲバントハウス(ライプツィヒ)


ゴッホ美術館の左奥にコンセルトヘボウを見る(アムステルダム)


バッハの《マタイ受難曲》
オランダ・バッハ・オーケストラと合唱団による
コンセルトヘボウ(アムステルダム)

会社時代:昼は仕事、夜はコンサート
 2001年の9月に、IDNの行事の一つである「海外旅行体験話クラブ(現在休眠中)」で話すことになった。これを機会に、会社時代に未整理のままファイルボックスに詰め込んであったプログラムなどを整理し「コンサート三昧」の記録を作成した。会社人生のなかで最後にコンサートに行ったのは1998年、この25年間に8回欧米に出張し、延べ18回のコンサートに行った記録をまとめた。

 記録には、出張した年月日・訪れたホール・演奏曲目・演奏者に加えて、出張の目的などコンサート以外のことなども書き加えた。はからずも会社人生の一旦を総括することにもなった。
 ヨーロッパでは、ロンドンのロイヤルフェスティバルホール(2回)、ヘルシンキの国立オペラハウス(旧)、チューリのヒのトンハレとオペラハウス、ミラノのスカラ座、ローマのAUDITORIO DI VIA DELLA CONCILIAZIONEなどに行った。
 アメリカでは、ニューヨークのアベリー・フィッシャー・ホール、アリスターリーホール(2回)、カーネギーホール、ダラスのシンフォニーホール(旧と新)、ボストンのシンフォニーホール、ワシントンのケネディーセンターコンサートホール、サンフランシスコのデービスシンフォニーホール、シカゴ(グラント公園での野外コンサート)に行った。

 出張で海外に行った際のコンサートでは、昼間に視察や訪問などの仕事をし、皆が食事やお酒を楽しむ夜のフリーな時間にコンサートに出かけることになる。まだインターネットもない時代に、夕方到着したホテルでコンサート情報をいち早く調べて、コンセルジュに相談。席を予約してもらって、初めての街へ夜に出かけて行く。
 1989年にヨーロッパへ出張した時には、14泊のうち5回もコンサートに行った。
 18回の体験のなかには、思いもかけないコンサートに行ったこと、印象に残ったこと、楽しかったこと、人との出会い、夜の街で恐い思いをしたことなど、想い出は尽きない。

リタイヤ―後:2006年はウィーン・ベルリン・ザルツブルグ
 会社時代の海外出張では、訪れる都市(街)を選ぶことが出来ない。会社時代の8回の出張先には、本命ともいうべき、ウィーンとベルリンが含まれていなかった。
 リタイヤ―後の2006年に海外コンサートツアーを得意とする旅行社を訪れて、念願のウィーンのムジークフェラインザールとベルリンのフィルハーモニーにザルツブルグを加えたコースを組んでもらい、ウィーンフィルとベルリンフィルのチケットも事前に入手してもらった。

 ベルリンのフィルハーモニーでは一階の前から10番目の中央の席で、サイモン・ラトル指揮、ベルリンフィルの演奏で《ブラームスの交響曲第四番》他を聴くことが出来て感激した。
 ハンス・シャロ―ウンが設計したフィルハーモニーはワインヤードと言われる、演奏席の周囲を取り囲んで客席があるホール形式であり、私が卒業設計で手本にしたホール。一度訪れてみたいとの念願が35年ほど経ってやっとかなった。

 ウィーンのムジークフェラインザールでは、指揮者がベルナルト・ハイティンクでモーツアルトの《交響曲第32番》、アルフレッド・ブレンデルのピアノでモーツアルトの《ピアノ協奏曲第27番》、ショスタコーヴィッチの《交響曲第10番》をウィーンフィルで聴いた。

 ウィーンフィルのコンサートの前夜にM・ポリーニのピアノリサイタルを聴く幸運に恵まれた。モーツアルトの《幻想曲ハ短調》、プログラムが変更になったショパンの4曲、休憩のあと、リストの《ピアノソナタロ短調》。これで十分に満足だったが、ポリーニはアンコールとして5曲を演奏した。いつも冷静なピアニストと思っていたポリーニが燃えきった姿をそこに見て驚いた。

 ザルツブルグでは、ミラベル宮殿内のバロック様式の大理石の間「マーブルルーム」でザルツブルグ ゾリステンのメンバーによるモーツアルトの室内楽を聴いた。

2008年のコンサートツアーではウィーンとベルリンにプラハとドレスデンが加わる
 2008年には、コンサートツアーに参加し、「プラハの春音楽祭」に参加するのをコアーにして、前後に3つの都市を訪れた。
 ウィーンのムジークフェラインザールでは、ウィーンフィルとダニエル・バレンボイムの指揮でモーツアルトの《ピアノコンチェルト27番》の弾き振り、ブルックナーの《交響曲第9番》を聴いた。

 プラハでは、2つのホールでのリサイタルとコンサート。
 ・ドボルザークホールでアルフレッド・ブレンデルのハイドン、モーツアルト、ベートーベン、シューベルトのピアノソナタ
 ・スメタナホールではC.アルミンクの指揮とチェコフィル、J.フィッシャーの競演でドボルザークの《バイオリン協奏曲》とマーラーの《交響曲第一番(巨人)》を聴いた。

 ドレスデンでは、ドレスデン国立歌劇場で(ゼンパー オパー)でフィガロの結婚を鑑賞。

 ベルリンではフィルハーモニーが火事になり、会場が野外音楽堂として有名なヴァルトビューネに変更になった。M.ポリーニのピアノ、C.アバドの指揮でベートーベンの《ピアノ協奏曲第四番》、C.アバドの指揮でベルリンフィル、オルガン、独唱者、大合唱団によるベルリオーズの《テ・デウム》を聴いた。

 ポリーニのモーツアルトとベルリオーズの大合唱団を含む大曲をフィルハーモニーで聴くことを楽しみにしていたが、残念なことになってしまった。しかし、ベルリンフィルが野外コンサートを行うのをいつもテレビで見ていたが、ヴァルトビューネでコンサートを体験することが出来た。

 2008年のコンサートツアーで最もうれしかったのは、この年で引退することを表明していたブレンデルのピアノリサイタルでのアンコール。ブレンデルに対して私がアンコールの曲目を選ぶことを許されたら、シューベルトの《即興曲作品90の3》を希望する。アンコールでこの曲が鳴り出したときは感激し、ブレンデルに感謝した。

2010年のコンサートツアーはミュンヘン・ライプツィヒ・ベルリン・アムステルダムで盛りだくさん
 ミュンヘンでは、ガスタイクで、C.ティーレマン、ミュンヘンフィル、ピアノのM・ポリーニによる、モーツアルトの《ピアノ協奏曲第23番》とベートーベンの《交響曲第三番 英雄》を聴いた。

 ライプツィヒでは、ゲバントハウスで、G.コルステンの指揮とチェロのエリザベス・ヘッカーで、エルガーの《チェロ協奏曲》を、休憩のあとメンデルスゾーンの《交響曲第一番》 他を聴いた。

 ベルリンでは、前回火事で会場が変更になったフィルハーモニーでの二夜の演奏会。
 ・M.ヤンソンスの指揮とベルリンフィル、バイエルン放送合唱団他で、ヴェルディの《レクイエム》
 ・D.バレンボイムとベルリン国立歌劇場管弦楽団、ピアノのラン・ランによるベートーベンの《ピアノ協奏曲第三番》とベルナルド・ランズの《
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 アムステルダムでは、コンセルトヘボウで二夜の演奏会。現地で《マタイ受難曲》のチケットを入手することが出来た。
 ・オランダ・バッハ・オーケストラと合唱団によるバッハの《マタイ受難曲》
 ・B.ハイティンク指揮、バイオリンのF.P.ツィマーマン、ロイヤル・コンセルトヘボウによるブラームスの《バイオリン協奏曲》とショスタコーヴィッチの《交響曲第15番》

エピローグ
 2004年に、住宅の情報化の調査でストックホルムへ行ったときに、王立オペラ劇場で《トスカ》を鑑賞した。会社時代の18回、リタイヤ―後にコンサートを目的にでかけた2006年に4回、2008年に5回、2010年の6回、海外でコンサートに34回行ったことになる。最後に出かけてから5年を経過し、コンサートへの思いは募っているが、実現できていない。これだけの回を重ねているのだから満足するべきかもしれないが、何処かが満ち足りない感じがしてならない。
 龍のコンサート三昧は、編集後記集のインデックスの「コンサート」よりご覧ください
龍のコンサート三昧(昼は仕事 夜はコンサート)の記録
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