1995年に買ってもらったThink Pad 755CDVが今のIDNでの活動に繋がる
【メルマガIDN編集後記 第347号 161001】

 1995年のある日、私の机の上に真っ黒で分厚いノートパソコンが置かれた。その時点で最新の最高のパソコンをほしいと希望していたものが届いた。このパソコンはいくらするのという問いへ、80万円くらいでしょうか、という答えだった。
 1995年は、年明けに阪神・淡路大震災、3月にサリン事件が発生したあわただしい年の始まりだった。そしてこの年は、私にとって会社人生の転機の年であり、21年前のこのパソコンが現在のNPO自立化支援ネットワーク(IDN)での活動に繋がることの始まりだった。


新研究所の鳥瞰   屋根に見える円の直径は90m


ThinkPad 755CDV Type 9545 AFK

 
ThinkPadと755CDVのロゴ


表のケースを取り外すと液晶が現れる



液晶面がOHPのフィルム代わりになる


Libretto20の形状はこちらでご覧ください

リブレット(Libretto)は東芝が開発・販売、イタリア語で小さな本という意味を冠した小型ノートパソコン。初代の《リブレット20》は、世界最小、最軽量のWindows95搭載PCとしてデビュー。発売は1996年4月17日。
CPU(DX4相当 75MHz)、メモリ(8MB 20メガバイトまで増設可)、ディスプレイ(6.1型FLサイドライト付きTFTカラー液晶 VGA640*480)、重量(840g)、価格(198,000円 Windows95インストールモデル)


ワークスペースモデル(WSM)
奥に緑をあしらった打ち合わせコーナーを見る


技術研究所の移転
 東京都江東区にあった技術研究所は、立地的な条件で大型の実験施設などの導入が困難になり、1990代の当初より移転の検討を続けた。いくつかの代替案の中より全面移転の決定がなされたのが、バブルの下降時期、判断がもう一年遅かったら、移転が中止になっていたかもしれない微妙な時だった。
 研究所本来の業務(研究企画)と並行して、技術研究所長のもと、移転・建設の研究所側の責任者に指名され、新研究所の全体計画、専門分野の研究員のリクエストに対する実験室の規模と予算の配分など、計画段階の仕事は多忙だった。不測の事態の説明、予算の折衝などで週に2回も大阪本社へ通うこともあり、死ぬ思いをした、と言っても過言ではない。

 工事期間のたくさんの難関を乗り越えて、1993年の秋に、千葉ニュータウンに完成した新研究所に移転した。移転後は、建設関連を中心とする雑誌やメディアの取材への対応、新研究所のパンフレットの作成、PR用のVTRの作成、見学のお客様をお迎えするための体制の整備、1994年中はお客様の案内などに追われた。
 1994年が過ぎ1995年になってやっと落ち着きを取り戻したかに見えた。これからしばらくは細かいことの整備に軸足を移し、平穏な日々を送ることができると期待していた矢先に新たな転機が訪れた。

マルチメディア推進室
 1995年3月に発足させるマルチメディア推進室の責任者をやるようにとの内示があった。ミッションは?との問いへの答えは、
①マルチメディア(当時はITやICTと言わずにマルチメディアと言っていた)を利用した、社内の業務改革
②マルチメディアという時流に乗った受注の増大
 ミッションは、この二つを実行するのではなく、この二つを促進するための戦略を立案すること、期間は3年とのことだった。どうして私が選ばれたのか?との問いに、わけのわからないことは生部にやらせると、何とかするのではと期待している(こんな表現だった)、との返事。
 東京本店での仮住まいし、スペース・什器や人の折衝を続けながら、ミッションの①について実情を知るために社内を歩き回った。分かったことは、全社的にパソコンなど使いそうにない《オジサン》の集団であること、自分もその一人であることを実感した。このオジサンたちを導くためには、まず私がモルモットになろうと決心した。そして、マルチメディア推進室に配属された若い優れものに頼んで、その時点で最新の最高のパソコンを入手してもらった。私の机上に置かれたのが、
ThinkPad 755CDV Type9545 AFKだった。

ThinkPad 755CDV Type9545 AFK
 当時、
ThinkPadの 700番代は、ハイエンドモデルとして最新の機構やユニークなシステムを積極的に取り入れていることで知られていた。以下に仕様の一部を記す。改めて、現在私が使っているデスクトップの仕様【かっこ内】と比較してみると驚きを禁じ得ない。
・バンドルOS:OS/2WarpV3,PC-DOSJ6.3/V,Windows3.1
        【Windows10 Home バージョン1607】
・CPU:DX4 100MHz 【2.53GHz】
・メモリ容量:標準8.0MB 最大40.0MB オンボード8.0MB 【8GB】
・ハードディスク:810MB IDE 【1TB】
・ディスプレイ:10.4インチ TFT液晶 カラー
・外形寸法:(W)297mm×(D)210mm×(H)57mm
・重量:3.4Kg

・発売時期:1995年5月と7月(31日)の2説あり
 このPCでは、ファイル名は8桁以内、拡張子は3桁以内の英数字に制限されており、長いファイル名をサポートすることが出来るようになったWindows95からである。
 このPCの特徴の一つとして、OHPへ対応する仕掛けが盛り込まれている(写真参照)。当時のプレゼンテーションはOHPが全盛の時代だった。

<ミッションの
顛末
 ミッションの①については、当時社内にあったシステム部門の活躍もあり、社員全員にパソコンを配備し、紙の帳票をなくすことで、社内の情報化が一気に進んだ。オジサンたちは当初は戸惑い、若者の助けを得ながら、自立できるようになっていった。
 ミッションの②につては詳述しないが、当時検討を進めていた《インテリジェントビル》の開発の深堀をした。

困難を乗り越えながら新しい試みも
 2つのミッションに注力しながら、今日では普通のことになったが、当時としては新しい試みも行った。
<ホームページ>
 社内を歩き回って、一緒にお酒を飲んで、非公式のチームができて、彼らの夜の努力が実を結び、1995年7月1日に、会社のホームページを立ち上げた。「建設業で最初にホームページを立ち上げた」と日経新聞に小さな記事が出た。1995年の夏のころはそんな時代だった。ホームページでは、会社のPRだけでなく、マーケッティングの役割を持たせること等の検討も行った。

<モバイルコンピューティング>
 1996年になってから、携帯電話と東芝製のリブレット(型番は記憶にない、右に
Libletto20
概要を記す)を買ってもらって、
・自宅の電話回線よりマルチメディア推進室に設置したサーバーへアクセス(PCを使ったホームオフィス)
・携帯電話とのリブレットを持参して出張先からマルチメディア推進室に設置したサーバーへアクセス(モバイル)
することを試行した。
 我が家では、電話回線の接続を電話機からPCに替え、外出先では、携帯電話の
9600bpsの回線をリブレットに接続して使用した。大阪からの戻りの新幹線の中で、室のサーバーに保管してあるPPTのファイルを見て、修正の注文を出す。急ぐときは大阪を出て京都を過ぎて山崎のトンネルに入るまでに送信することが必要だった。

エピローグ
 パソコンの処分を検討していた時に、天袋の奥から
ThinkPad 755CDVが出てきた。懐かしさのあまり、つい古い話になってしまった。改めて調べてみると、このノートPCの値段は1,150,000円だったようで、とても高価なものだった。1995年の秋(11月23日)にWindows95がリリースされ、755CDVが活躍した期間はそんなに長くはなかったと思う。外見もきれいで、使い込んだ様子は見られない状態で姿を現した。どうして私の手元にあるか定かに記憶していないが、廃棄処分扱いになったものを私が記念に保管していたものと思われる。
 当時提唱していた《インテリジェントビル》についても、古い資料が出てきた。オフィスの情報化と並行して注力していたオフィスの執務環境の快適性を追求した《エルゴノミクス》に関する資料も懐かしい。ワークスペースモデル(WSM)を創った時の写真を紹介する。【生部 圭助】

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