東博へ初もうで 2017
【メルマガIDN編集後記 第354号 170115】

 2017年の新春に東京国立博物館へ行った。新春には、東博で保有している自慢の品が展示される。今年は、国宝に指定されている、《松林図屏風》、《扇面法華経冊子》、《古今和歌集 (元永本)上帖》などが特別公開された。
 また、1月の東博では、その年の干支にちなんだ特集が組まれる。今年は酉年であり《博物館に初もうで 新年を寿ほぐ鳥たち》が本館の1室と2室に展示された。
 今回見たもののなかから、いくつかを紹介する。なお作品の解説は、チラシ、東京国立博物館ニュース、ホームページ、展示の解説などから要約した。


東京国立博物館  正面


国宝  長谷川等伯筆 松林図屏風


国宝  扇面法華経冊子


案内


伊藤若冲 松梅群鶏図屏風  拡大します


蘿窓筆 竹鶏図  部分


龍鳳堆朱長方形箱  詳細

長谷川等伯筆 松林図屏風(国宝 安土桃山時代)
 今年も本館の第2室に、等伯筆の(1539-1610)の国宝《松林図屏風》が展示された。毎年のこの時期、この室は大勢の見学者でにぎわっている。今年は、担当研究員の松嶋 雅人氏の丁寧な解説があったので、以下にそのまま記す。

 白い和紙の上に墨の濃淡だけで、風と光の情景が生み出されています。画面に近づいて松の葉を見ると、その激しい筆勢に押されて、後ずさりするくらいです。松を描く筆は、穂先をいくつも重ねたもの、竹の先を細かく砕いたもの、あるいは藁を束ねたものを使ったと考えられており、明らかではありません。繊細でありながら迷いなく筆を進め、一気に線を引いているのが見て取れます。離れてみると、松の幹はまるで能を舞うかのように風に揺られています。
 四つほどの大きなグループに分かれた松林は、木々の間を風が通り抜けるように配置されています。そして、墨のグラデーションによって、光の強弱をあらわして、霧に包まれた松林を生み出しているのです。
 様々な工夫と技法によってあらわされたこの松林には、霧の晴れ間から柔らかな光が差し込んで、遠くの雪山がのぞき、冷たく湿った空気が漂います。艶やかな墨の色と相まって、風の流れや森の清々しい香りまで実感できるでしょう。
 東伯は松林という日本の伝統的なモチーフを、中国絵画から学んだ水墨表現によって描き出し、日本の風土の豊かな形象を見事に表しているのです。

扇面法華経冊子(国宝 平安時代 12世紀)
 扇形の紙に絵を描いて二つに折り、折り目で貼り合わせて冊子とし、そこに法華経8巻などを書写したものである。表紙には法華経を守護する十羅刹女が、文字の下には経典の内容とは結び付かない、貴族や庶民の営みが濃彩のやまと絵で描かれている。宮廷周辺の女性の発願により制作されたと考えられ、もとは大阪・四天王寺に伝来した。

東博へ初もうで 新年を寿ぐ鳥たち
 2017年の干支である酉年にちなんで《暁の鳥》、《祝いの鳥》という二つのテーマのもとに、鳥を表した美術工芸品が特別1室と2室に展示された。

 暁の鳥では、十二支の酉は鶏の姿で現されるのが通例なので、鶏をモチーフとする作品が取り上げられた。黎明を告げる鶏は家禽として親しまれ、闘鶏などの遊戯も楽しまれ、鶏と人間との関わりを表した作品も展示された。

 祝いの鳥では、主に吉祥を表す作品を展示。鳥をモチーフとする美術工芸品には、鷹・孔雀・鶴・鷺・鴛鴦などに吉祥的な意味が込められる。実在の鳥ばかりではなく、人間の想像力が生み出した鳳凰などの瑞鳥も展示された。

蘿窓筆 竹鶏図(重要文化財 南宋時代 13世紀)
 蘿窓は南宋末の禅僧で、日本の水墨画に大きな影響を与えた牧谿と画意が等しいともいわれた。
 五更(ごげん 午前4時)の未だ夜が明ける前の幽暗の竹下に潜み、文武勇仁信の五徳を備える鶏を描いている。尋常でない目付きの鶏は、悟りを得た禅僧のようにも見える。

伊藤若冲 松梅群鶏図屏風(江戸時代 18世紀)
 若冲は「鶏の画家」と知られ、多くの鶏図を描いている。正面向きや後ろを向いたもの、雄Xしく立つ姿や座る姿など、雄雌の鶏と雛のさまざまな姿態を克明に描き分けている。石燈籠は、大小の無数の点で描かれて、御影石の表面が真に迫ってあらわされている。

龍鳳堆朱長方形箱(大明宣徳年製 銘 明時代 15世紀)
 漆を何層にも塗り重ねて、文様を彫刻する技法を彫漆といい、中国漆工の代表的な技法である。これに朱漆を用いたものを、特に堆朱(ついしゅ)という。本器の蓋表には、中央に龍が雲気のなかを舞う窓を置き、その周囲に鳳凰たちが花卉のなかを飛翔する意匠があらわされている。

エピローグ
 干支にちなんだ特集の展示を見るために、毎年東博へ初もうでしている。長谷川等伯筆 松林図屏風は、2013年に3年ぶりに特別公開され、そのあとは、年初に毎年展示されている。

 2011年1月から2012年5月まで安部龍太郎の『等伯』が日本経済新聞の朝刊に連載された。小説では、安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した長谷川等伯が戦国の世にあって「天下一の絵師になる」という夢を抱き画業に打ち込んだ生涯が、歴史的事件を背景に描かれている。
 小説の終盤では、ついに等伯が《松林図屏風》を描き、伏見城で秀吉の他、家康や前田利家等の前で披露するところがクライマックスとなっている。小説の連載が終了した後、《松林図屏風》を見る機会を待っていたのが実現した。

 2011年に出光美術館で開催された《長谷川等伯と狩野派》展に、等伯が私淑したといわれる南宋時代の画僧牧谿(もっけい)の《平沙落雁図》等2点展示されていた。
 等伯は牧谿の精妙な自然描写に衝撃を受け、牧谿の筆法を完全に会得するまで、何度も繰り返し描き、光と大気の気配を学び、その成果が《松林図屏風》を描くのに生かされたといわれている。今回も、こんなことも思い出しながら《松林図屏風》を見た。
【生部 圭助】


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