龍の謂れとかたち


謂れかたち

2010年にヨーロッパで出会った龍と竜

ブランデンブルグ門の内部のレリーフ(ベルリン)

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ブランデンブルク門 (Brandenburger Tor)
高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11m、砂岩で出来た古典主義様式の門
上部には勝利の女神(ヴィクトリア)と青銅製4頭立て馬車(クアドリガ:東向き)が掲げられている

ブランデンブルク門の建設
ブランデンブルク門はフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命により
建築家カール・ゴットハルト・ラングハンスによって古代ギリシャ風で設計され
1788年から3年間の建設工事を経て1791年8月6日に竣工
門はアテネのアクロポリスの入り口にあったプロピュライアの門を模した物

1868 年に城壁が取り壊されるまでベルリンは星型要塞に囲まれた都城都市だった
ブランデンブルク門は18箇所あった都城の門のひとつ
城壁が取り壊されたときに残りの門は姿を消して、唯一残された

勝利の女神ヴィクトリア
四頭立ての馬車に乗った勝利の女神ヴィクトリアは、彫刻家ゴットフリート・シャードウの作

ブランデンブルク門は平和の勝利を記念する《平和門》としての位置づけだった
完成直後にナポレオンがよりベルリンが征服し、ブランデンブルク門はナポレオンのパレードの舞台と化した
ヴィクトリア像はフランスへ戦利品として持ち去られてしまった
その後のナポレオン戦争によりプロイセン軍がパリを占領すると、ヴィクトリア像は再度ベルリンに持ち帰られ門の上に戻された

第二次世界大戦後
門の前にあった廃墟はすべて撤去されて何一つ建物のない無人地帯となっていた
西ベルリンとの境界線がすぐ近くを通ることとなり、門は東ベルリンに属す
1961年に東ドイツがベルリンの境界線を封鎖し、後に《ベルリンの壁》を建設
門の前を壁が通り、門は東ベルリン西端の行き止まりとなる

壁の崩壊
1989 年にベルリンの壁が崩壊
2000年12月から巨額の資金をかけて清掃と改修工事が行われた

【参考:Wikipediaほか】

復旧前のパリザー広場 1992年 パリザー広場 1947年
写真:現地のポスターより


ブランデンブルグ門の内部のレリーフ
レリーフは列柱の内部にある壁の上部に配置されている
全10個の面に円形と矩形のレリーフが各1個ずつある
これらのレリーフの謂れについては調査中である
西から見て左の壁面を第1面とし、最も南の面を第10面とする
【撮影:2010年3月14日(日)】


ブランデンブルグ門 西面


ブランデンブルグ門 レリーフは列柱の内部にある壁に配置されている


第1面
西から見て左の壁面を第1面とする



 


第2面



 


第3面



 


第4面



 


第5面



 


第6面



 


第7面



 


第8面



 

第9面



 


第10面



 



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