謂れとかたち
大山寺不動堂龍の彫刻 《波の伊八》

大山寺
大山寺は、奈良時代紙亀元年(724年)に東大寺別当だった相模出身の良弁僧正が開山したと伝えられる
中世以降は天台宗に属し、修験寺として栄えた
明治5年の修験道禁止令によって、真言宗に帰属することになって今日に至る

大山不動尊は、本尊の不動明王 (県指定有形文化財) は鎌倉時代に相模の大山寺と同木同作で良弁の作という
大山寺は、成田山新勝寺、神奈川県の大山寺とともに 関東三大不動といわれている
 
 建築年代は、棟礼から江戸時代末期の享和2年(1802年)と推定され
翌年9月に伊八が二体の龍を向拝の空間に据えて完成した
不動堂は入母屋造り、銅版葺きで、和様建築様式を忠実に伝えている


大山寺山門


大山寺不動堂

波の伊八
《波の伊八》は武志伊八郎信由という
1751(宝暦元)年に現在の千葉県鴨川市に生まれ、1824(文政7)年に没した宮彫師
房総南部を中心に、神社や寺院の欄間の彫刻などのすぐれた作品を多く残した
特に外房の荒海を象徴するかのような、「波」の浮き彫りが独得の作風とされ、《波の伊八》と称される
職人仲間では「関東に行ったら波を彫るな、彫ったら笑われる」と語られていたという
伊八の作品は
波のみならず、龍の彫りも実に巧み
房総を中心として多くの寺社に残っている

波の伊八の龍の彫刻
不動堂の向拝には、初代伊八52歳の作品である飛龍(懸魚)と地龍(向拝)が上下に配されている
波頭から空へ立ち上る水気はくもとなり雨を呼ぶ
龍の眼下には長狭平野が広がり、米どころの長狭に恵みの雨を降らせる二体の龍
200年にわたって東の方角を見据え続けている


不動堂の向拝にある飛龍(懸魚)と地龍(向拝)の彫刻 初代伊八52歳の作品


懸魚にある飛龍と向拝にある地龍の彫刻


懸魚の飛竜
「懸魚」は神社仏閣の破風(はふ:切妻屋根の妻側の三角形の部分)に取り付けられる
「懸魚」は「掛魚」ともかかれ、「けんぎょ」と呼ばれることもある
魚を吊るしたような形に似ていたことからこの名がついた

建物の一番の敵は火災、名前に「魚」がつくことから「防火」を願って昔からつけられていた
向拝の屋根の唐破風の先端の破風の拝みの部分《兎の毛通》に龍の彫刻を見る

向拝の屋根にも多く見られ、曲線状の装飾的につくられた屋根を呼ぶ
唐破風の先端の破風の拝みの部分《兎の毛通 (唐破風懸魚)》のところに龍の彫刻を多く見る
唐破風などにつけられた懸魚は、懸魚の範疇を越えて華美な彫刻になっている



飛龍と地龍の彫刻



懸魚の飛龍 正面より見る


懸魚の飛龍 頭部


向拝の地龍


向拝の地龍 正面より見る


向拝の地龍 斜めより見る

大山寺
大山寺住所:千葉県鴨川市平塚1723
電話:04-7098-0178
110228/120323/160831/210326
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