龍の謂れとかたち


謂れかたち

行元寺山門の龍の彫刻

行元寺は、正式には《東頭山無量寿院行元寺》という
嘉祥2年(849)慈覚大師円仁によって伊東大山(夷隅郡大多喜町伊藤)に草創された
東国で最初に開山されたところから、《東頭山》と名づけられ隆盛を極めた

 その後平重盛によって現在の夷隅町荻原の地に移建され
冷泉家二階堂行元によって再興されてから、今年は700年目になる
房総天台教学の中心であり、京都・鎌倉からの仏教文化交流が深く
房総文化の発信基地となっていた古刹

 江戸時代には、学僧の一人、天海大僧正の弟子亮運大僧正(当時厳海)は家康や大多喜城主本多忠朝との信頼厚く
上野寛永寺学頭となって家光の師となったことで特に知られている
このように徳川家の庇護で寺勢は大いに栄え、多くの文化財を所蔵することができた
行元寺山門 行元寺本堂

行元寺山門の龍の彫刻


龍の彫刻の拡大

行元寺の本堂の内陣の上の欄間に高松又八郎邦教の《波と龍》の彫刻がある
行元寺では写真の撮影が禁止されているので、彫刻をお見せすることが出来ないのは残念である
「甚五郎は架空の人物で、実在した高松又八郎邦教が、実は左 甚五郎である」という説がある
又八郎と甚五郎の詳細についてはこちらをご覧ください

行元寺の客殿の欄間に波の伊八の彫刻《波に宝珠》がある
葛飾北斎の有名な《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》には元になっていると言われている
伊八は房総に龍の彫刻をたくさん残している
《龍の謂れとかたち》を集めている私には訪ねてみたいところが一挙に増えた
伊八と北斎のかかわりの詳細についてはこちらをご覧ください

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