謂れとかたち
西別院の梵鐘 前田藩の刻の鐘 金沢

西別院
西別院の現地の石塔には、《浄土真宗本願寺派本願寺金沢別院》と記されている
10年以上織田軍と戦ってきたが遂に降伏的和睦した石山本願寺の顕如は紀州にしりぞく
長男の教如と異母兄弟の准如は対立
秀吉の時代を経て、関ヶ原後の1602年に、徳川家康が教如に本願寺の東側に寺領を寄進し御堂を建立
加わる門徒が数多くあらわれ、やがて多くの門徒が離合集散し、准如側を西本願寺(本願寺派)と言うようになった
金沢の別院は、それぞれを支持する加賀・能登・越中のお寺や門信徒の懇念により現在の本堂が再建され
種々の堂宇が整備された


西別院の山門


梵鐘
この鐘は、文政5年(1822)に12代前田斉広公が今の兼六園のところに建てた竹沢御殿の《刻の鐘》だった
竹沢御殿が廃止された後、金沢城内の時鐘所に移転され使用されていた
明治6年(1873)4月に金沢区会所に払い下げされ、民間で報時が行われた
第2次世界大戦になると、金属の回収が強要されたが、運よく終戦の翌年金沢に返って来た

この鐘は、別名《割れ鐘》といわれ親しまれていた
ヒビが大きくなり音が悪いことから、平成5年(1993)に別院参与会から同型の梵鐘を寄付してもらった

西別院の本堂の脇に以前に《刻の鐘》使われていた梵鐘がおいてある
鐘のサイズは、高さ約2.2m 口径は1.2m
この梵鐘の龍頭(鐘を吊るための上部の突起、フック)は名前の通り龍のかたちをしている


江戸時代に前田藩の刻の鐘 


鐘楼の龍頭


鐘楼の龍頭


鐘楼の龍頭  側面



安政3年再建の鐘楼堂


鐘楼には、平成5年に別院参与会から寄付してもらった同型の梵鐘が使われている


梵鐘の龍頭


住所:〒920-0851 金沢市笠市町2‐47
電話::076-221-0429


160610
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