龍の謂れとかたち


謂れかたち

浅草寺の金龍の舞


浅草寺では、東京大空襲で二天門を除く伽藍が消失した
戦後、諸堂が再建される中で寺舞が地元の有志によって奉納された
昭和33年に本堂再建を記念して「金龍の舞」が作られた

浅草寺の山号(金龍山)ともなるこの舞は
一寸八分の黄金の観音像が隅田川より掬い上げられたおり
突如として龍が天から舞い降りて観音像を守護し奉ったと伝えられる浅草寺縁起に因むもの

「浅草寺縁起」に「寺辺に金龍が舞ったところ、
一夜にして千株の松林ができた(現世利益ともなる五穀豊穣を暗示するもの)」
という縁起譚から創作された
松林に見立てた松児童(浅草幼稚園の園児が担う)を先頭に
観音様を象徴する蓮華珠、これを守護する金龍が練り歩く
浅草組合花組によるお囃子も同行して賑わう
<3月18日・10月18日>
【浅草寺のチラシより抜粋】

浅草寺では、、このほか「白鷺の舞」、「福聚の舞」がある

浅草寺についてはこちらをご覧ください

 
浅草寺の寺舞を紹介したチラシより(部分)               参道にある掲示板より(部分)


金龍の舞 2007

伝法院を出発し参道(仲見世通り)を練り歩く

2007年10月18日の菊供養の奉演を見た
伝法院前に待機していた金龍は午後1時45分頃に出発
参道(仲見世通り)を練り歩く

 
伝法院前で出発を待つ

 
先導グループ

 
参道(仲見世通り)を練り歩く

宝蔵門をくぐり境内にはいる
本堂前で勇壮な舞で観音様にお参りする
そのあと、観音堂の左側の境内に移動する


宝蔵門をくぐり境内にはいる


本堂(観音堂)前で舞を奉納する


松児童(浅草幼稚園の園児たち)


浅草寺の縁起と金龍の舞の説明があり、舞が始まる
本堂に向かって静止し、ここで8人の舞手が交代する
浅草寺の縁起と金龍の舞の説明があり、芸者さんのひとりが観音様を称える唄を歌った後
8人の舞手が操作する勇壮な舞が繰り広げられる
屋台に乗った浅草芸者が日本髪に菊をかざして三味線、横笛を担当

舞の拡大写真はこちら



 



 

 


金龍は本堂前の境内で小休止
この間、屋台でお守りの入った記念の手拭を売る
この手拭は舞手が着ている半纏を縮小手拭折にしたもの
<南無観世音菩薩>と唱えればいいことがあるという
 
縮小手拭折にした半纏                      半纏の襟を開いて背中の龍を見る


龍頭に触って縁起をもらう
金龍は参道や境内での動きの中で高くなったら低くなったりする
また帰りには境内で一時休憩をする
人々はこぞって金龍に触れて縁起をもらう
 
観衆は挙って金龍に触る

金龍は帰途につく
金龍は五十の塔が見下ろす広場を出て、観音様に挨拶し
宝蔵門をくぐって参道(仲見世通り)に出て、金龍は空中を泳ぎながら、時に頭を触らせるように練り歩く
伝法院前で一回転し、伝法院の中に消え、門が閉まる
 
五重塔が見下ろす広場を出る                宝蔵門をくぐって仲見世通りへ出て帰途に

 
すべてが伝法院の中に消え、門が閉まる


金龍の表情
金龍は動きの中にさまざまな表情を示す
 

 

 
金龍の表情


金龍の鱗と爪
金龍は、総重量88kg、全長18m、総金箔の鱗の数が8888枚
 
金龍の鱗と爪の詳細

来年は本堂落慶から50年、金龍の舞も50年周年を迎える

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