龍の謂れとかたち


謂れかたち

明治通宝札 金拾圓 金壱圓

2006年8月、清田泰興氏宅を訪問。
清田氏は元日本航空のパイロット。
本業の傍ら長年日本の貨幣の収集家として知られる。
当日、貴重な収集品の中から龍の図が描かれている紙幣や軍票を見せてもい、
氏のご好意により撮影させてもらった。


【写真の下に説明あり】
      
【実物のサイズ137mm×89mm】          【実物のサイズ111mm×72mm

   
龍の頭部を拡大した

明治政府は、明治4(1871)年5月に「新貨条例」を公布し、
円・銭・厘という10進法の貨幣単位を用いた新しい貨幣(金貨・銀貨・銅貨)を発行し、
貨幣制度の統一を目指したが、紙幣についても、
明治5年4月に「新紙幣」(明治通宝札ともいう。
額面は百円、五十円、十円、五円、二円、一円、半円、二十銭、十銭)を発行し、
それまでに流通していた多種多様の紙幣の統一を図った。

日本は西洋式色刷り紙幣の製造については未経験だったので、
ドイツの会社に印刷を依頼し、国内で「明治通宝」の文言や官印などを補って完成させ、発行した。

偽造防止のため、表面には菊、桐、桜、鳳凰、竜、
裏面には菊、孔雀、千鳥、蜻蛉、帆立貝などの動植物の図柄が、
従来に比べてかなり微細に施されている。
当時このような細かな原版製造は日本では技術的に難しかったため、
当初ドイツの印刷業者(ドンドルフ・ナウマン社)に製造を依頼した。
こうしたことから、新紙幣は通称ゲルマン紙幣あるいはドイツ紙幣などとも呼ばれている。
もっとも、ドイツで製造された紙幣は亜麻を主原料としており紙質が悪く、
損傷紙幣が多かったので、明治10年7月からは、ドイツ製の原版を用いつつ、
国産紙を使用して日本で印刷するようになった。説明は下記より。

【http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra2-8.htm】
【http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_22.htm】


061205/
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