謂れとかたち
難陀龍王堂の向拝の龍


難陀龍王堂(なんだりゅうおおうどう)
覚王寺は船橋市本町にある真言宗豊山派寺院
山門を通り奥の左手に進むと覆屋と金網に護られた難陀龍王堂がある
龍王堂の本尊難陀龍王は海上守護の神
難陀龍王堂は龍神様として船橋漁師町の人々の信仰を集めてきた
現在の堂は嘉永3年(1850)に再建されたもの
総欅造、形式は一間社流造
棟札によると、大工棟梁は船橋九日市の芝谷兼吉・平政保
寺伝によれば、江戸時代末期には津波の被害で伽藍が荒廃していた
当時の住職が本堂再建を企画し、難陀龍王堂も再建したといわれる
【現地の案内より要約】

難陀龍王
難陀(なんだ)龍王は、八大龍王の一つで、その第一番に数えられる
千手観世音菩薩の眷属である二十八部衆の一尊にも上げられている
像形は、基本的に人身で頭の上に9頭の蛇を乗せ、右手に剣を持つ形をとるものや、両手で宝珠を持つものなどがある
弟の跋難陀(ばつなんだ)龍王とともに密教の雨乞いの法会(請雨経法 しょううきょうほう)の時に拝まれる善き龍神
この兄弟の龍王は、真言宗で重視される準胝観音の眷属の二大龍王として有名
別名は歓喜龍王(かんきりゅうおう ナンダナーガ)
仁和寺の観音堂の難陀龍王


覚王寺 正面


難陀龍王堂の側面 仮設の建屋で覆われ保護されている


難陀龍王堂の正面 仮設の建屋で覆われ保護されている


向拝


向拝の龍の彫刻

向拝の龍の彫刻
向拝の屋根を支える柱を《向拝柱》といい、
向拝柱の上部を繋いでいる正面の梁を《水引虹梁》と言う
水引虹梁の上に中備(なかぞえ)として龍の彫刻がある


水引虹梁の上に中備(なかぞえ)としての龍の彫刻



頭部

扉の龍の飾り


扉の龍の飾り(左)


扉の龍の飾り(左)


扉の龍の飾り(右)

側面(右)のレリーフ
全体を覆う彫刻ががこのお堂を特徴づけている
正面(南)の彫刻は龍、北・東・西面は支那の故事に因んだ仙人や仙女
彫刻師は江戸長谷川町の松田乙次郎・藤原一元
側面は金網で保護されており、写真がぼやける


お堂の側面(右)


龍と玉巵(ぎょくし)


太真王夫人は支那列仙の一なり 王母の少女玉巵なり 一絃琴を弾ずる毎に、即ち百禽飛来するという
時に白龍に乗り周く四海を遊行すという
【『画題辞典』斎藤隆三】



(何を意味するか不明です)

難陀龍王堂
撮影:2021/07/07
住所:千葉・船橋市本町三丁目
210708/210803

難陀龍王堂の木鼻
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