謂れとかたち
成田山新勝寺の釈迦堂の矢切の龍の彫刻
成田山新勝寺
正式名称は成田山明王院新勝寺 真言宗智山派大本山
天慶三年(940)真言僧寛朝大僧正によって開山された
寛朝大僧正は朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け
弘法大師が敬刻開眼した不動尊像を奉持し難波津の港より海路を下総に向かう
尾垂ヶ浜(おだれがはま:千葉県匝嵯郡光町)に上陸し陸路を成田の地に至る
乱平定のため平和祈願の護摩を奉修した

大任を果たした大僧正は再びご尊像を奉じて都へ帰ろうとした
ところが尊像を運ぶ輿が磐石のごとく微動だにしない
《我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん》との霊告が響いた
寛朝大僧正は尊像を堂宇に祀って都へ帰って朝廷に報告
天皇は深く感動し、諸堂伽藍を整え《成田山新勝寺》の寺号を授与
東国鎮護の霊場として開山した


釈迦堂

釈迦堂
由来
安政5年(1858)に建立された旧本堂
昭和39年(1964)に現在の場所へ移築された
現在の大本堂が建立されるまで、釈迦堂は成田山の中心的な本堂
建築様式
入母屋造、千鳥破風付きの向拝を備えた構え
江戸時代後期の建築様式を色濃く残す、総欅造りの仏堂
現在は国指定重要文化財として保存されている
本尊
 釈迦牟尼如来
文殊・普賢・千手観音・弥勒の四菩薩が脇侍として安置されている

成田山新勝寺 本堂の変遷
建立 呼称(創建時) 呼称(現在) 安置仏 備考
初代 明暦 1年(1655) 成田山本堂 薬師堂 薬師如来 明暦の旧本堂を改称 1701年と1855年に移転
二代 元禄14年(1701) 旧本堂 光明堂 大日如来・不動明王・愛染明王 当初は「明王堂」、「元禄の本堂」とも呼ばれた
三代 安政 5年(1858) 新本堂 釈迦堂 釈迦牟尼如来・四菩薩(普賢・文殊・弥勒・千手) 昭和39年(1964)に現在位置に移転
四代 昭和43年(1968) 大本堂 大本堂 不動明王(中央)・二童子(矜羯羅・制咤迦)


釈迦堂 正面

芸術的見どころ
欄間や外壁には精緻な彫刻が施され、江戸後期の職人技が随所に見られる
五百羅漢の彫刻:仏師・松本良山が狩野一信の下絵をもとに、10年の歳月をかけて彫った
二十四孝の彫刻:中国の孝行物語を題材にした彫刻で、道徳的教訓と芸術性が融合
天井画(雲龍図と天女図):狩野一信による水墨画と金地着色画、技法の対比と宗教的象徴性が表現されている

矢切 正面(南面)


矢切 正面(南面) 


龍の彫刻


龍の彫刻 


龍の彫刻 右

矢切 左面(西面)


矢切 左面(西面)


2体の龍 左面(西面)



龍(左)


龍(右)

撮影:2021年12月&2025年6月

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