龍の謂れ
かたち
龍をあしらった御殿型厨子那覇市立壺屋焼物博物館


那覇市立壺屋焼物博物館
沖縄の土器や陶磁器を中心に紹介する博物館
那覇市内では、壺屋周辺で躍動感のある図柄が特徴の磁器が古くから作られた
博物館の館名もその産地にちなんでつけられた
沖縄の焼物をリードしてきた壺屋と壺屋焼きを中心に展示している
これらの展示を壺屋の街並みへつなげたいと願っている


那覇市立壺屋焼物博物館
【リーフレットより】

博物館のスタンプ


厨子
沖縄では、古来より死者を崖下や洞窟に運んで風葬にする風習があった
のちに風葬後に洗骨と呼ばれる遺体の骨を洗って、遺骨を蔵骨器に納める風習へと発展
この蔵骨器が厨子と呼ばれる
厨子甕は元来は人目に触れるようなものではなかった
廃藩置県後、まずバジル・ホール・チェンバレンによって、その芸術的、民俗学的価値が高く評価された
昭和に入り、柳宗悦や濱田庄司等の民芸運動を通して
厨子は沖縄陶器を代表するジャンルの一つとして、その芸術的価値が認められるようになった
厨子の形状には、板厨子(木棺)、石厨子、甕型、御殿型等がある

「沖縄宗教藝術の精華 厨子」展
博物館では、門上秀叡・千恵子コレクションとして約200点の厨子を所蔵している
今回はその中から16世紀〜近代の沖縄の厨子70点を展示していた
・展覧会:「沖縄宗教藝術の精華 厨子」
・期 間:
2014年11月1日〜12月21日

御殿型厨子(マンガン釉箱型厨子) 壺屋焼 19世紀後半
家型をした陶製厨子甕を御殿(うどぅん)型と呼ぶ
18世紀前半から、赤焼御殿型厨子が御殿型の最初に出現
それ以前の石厨子をそのまま陶製にしたような形をしている

赤焼御殿型の次に登場するのが荒焼御殿型厨子
全面にマンガンを掛け黒っぽく焼締めしている
徐々に装飾が豊富になり、庇の付く厨子も成立
さらに龍、獅子、牡丹などの模様が貼り付けで表現されるようになる

そのあと釉薬を掛けた上焼本御殿型厨子が登場する
化粧掛けの上に、飴釉(飴色)、緑釉(緑色)、呉須(コバルト色)を用いた色彩豊かなものが多い
装飾もさらに豊かになる

本展では龍をあしらった厨子が2種展示されていた
マンガン釉箱型厨子を紹介する



本展では龍をあしらった厨子が2種展示されていた



マンガン釉箱型厨子  正面

マンガン釉箱型厨子

マンガン釉箱型厨子



装飾の龍頭 正面


装飾の龍頭 斜めより


装飾の龍頭 斜め上部より


胴部の装飾


胴部の装飾の詳細





初期の厨子 石厨子
中国産石材の輸入がなくなると、沖縄では身近にあり加工も容易な石灰岩やサンゴを利用した
石厨子へと切り替わってゆきます
特にサンゴは身近な素材であったことから、16世紀の初頭から生産が開始され
一部の産地では戦後まで厨子の素材として利用されていました
【展示パネルの説明より】


サンゴ石製御殿型厨子(11)


サンゴ石製御殿型厨子(13)


石灰岩 サンゴ製石厨子(12)


石灰岩 サンゴ製石厨子(12)








サンゴ石製御殿型厨子(13)


初期の厨子 赤焼御殿型厨子
17世紀初頭、窯を使った陶器生産が本格的に稼働すると陶製厨子がつくられるようになります
赤焼御殿型厨子は陶製厨子の中でも初期のものです
低い温度で焼成後、全体を白く塗るのは、石灰岩やサンゴの白さを再現するためと推察されます
赤・緑・黒の顔料による加色も石灰岩・サンゴ製石厨子と共通しています
【展示パネルの説明より】


赤焼御殿型厨子(21)


赤焼御殿型厨子(21)

赤焼御殿型厨子(22)


赤焼御殿型厨子(22)


壺屋焼物博物館の住所:沖縄県那覇市壺屋1-9-32

150104/150125
龍の謂れとかたちのTOPへ