謂れかたち
豊川稲荷 札幌別院 天井の十二支絵文様図(札幌)

豊川稲荷 札幌別院
豊川稲荷札幌別院は、豊川稲荷(愛知県豊川市)の別院
曹洞宗玉宝禅寺の別称
明治31年(1898年) 開創
札幌市の歓楽街・すすきのの中心部のやや南側に位置する

商売繁盛を司る稲荷神への信仰は早くから存在
開拓労働者の足止め策として、1871年(明治4)年にススキノに遊郭が誕生
10年で妓楼は30軒に増え、遊女の数も300人に上ったという

1880年代初頭には既に無住の稲荷堂が建てられた
1895年から現在地で稲荷堂の建設が始められ、1898年5月に落成
豊川稲荷は「薄野の守護神」と呼ばれ、地域の人々の崇敬を集めることとなる
昭和初期まではお百度を踏む光景が頻繁に見られた
芸妓や遊女、小料理屋の女主人や仲居など、水商売に縁のある女性

開拓を支えた遊郭の娼妓たちを供養し
すすきのの花柳界の無縁仏とその陰の水子(見づ子)の霊を哀悼する
「薄野娼妓並水子哀悼碑」が境内に建つ
薄野花街哀悼碑建立期成会が堂垣内尚弘元知事から碑文をもらい
1976年に建立したもの

豊川稲荷 札幌別院 略縁起
 愛知県豊川市曹洞宗妙厳寺は、ご本尊に、寒巌義尹禅師伝来の千手観音を安置し、鎮守として禅師御感見の善神「豊川だ枳尼真天」を祀る。
 この善神は通称「豊川稲荷」と呼ばれ、その起こりは、七百数十年の昔、文永元年、寒巌禅師入宗求法をおえ、帰国の為ご乗船の際、海上にて忽ち霊神現じ、妙相端麗にして稲穂を荷い、手に宝珠を捧げ、白狐に跨るお姿を御神示あり、禅師は深く感動せられ、帰国後示現のお姿を自ら刻み、守護神として祀られる。
 これより代々相伝せられ、東海義易禅師により豊川の地に、円福山妙厳寺を開創と共に鎮座し、東海地方の名刹となる。因みに「豊川だ枳尼真天」現じ給える時の御神示の中に真言あり「?尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶(オンシラバッタニリウンソワカ )」
と申す。 
 之を要約すれば、“正しい戒力により、悪事災難を除き、福徳智慧を得て苦を抜いて楽となし、悲しみ転じて喜びとなすことが必ず成就する”という意味である。
 その分霊は、全国至る所に祀られており、当院は明治三十一年に別院として開創され、以来幾多の霊験を現じ今日に至る。(稲荷縁日毎月二十二日)
 尚、一階には、清田区北野にある「曹洞宗 玉宝禅寺」の祖院として、仏事全般を司っている。
平成八年秋 大祭記念 院代 修導 記
現地の案内板より



豊川稲荷札幌別院 外観


豊川稲荷札幌別院 正面


十二支絵文様図
市内南区藤野在住 笹山俊弘 作
1898(明治31)に創建された豊川稲荷札幌別院は、2階の本殿部分が当時のまま残る
描かれた十二支それぞれを囲む大きな円は11個だけしかなく(
午がない)、七不思議のひとつとされている

十二支は干支であり、時刻や月、季節、方角を示し、干(かん)は四季や方位を表します
さらに干支には十二支の動物を当てはめています
この図は、それを絵文様に表した世界であり、人々の幸福と開運を願うものであります
合掌
【豊川稲荷別院 院代 牧野修導】





十二支絵文様図





































十二支の辰





辰の頭部


辰の爪(三爪)


豊川稲荷札幌別院
住所:北海道札幌市中央区南7条西4−1−1
電話:011-511-5917


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180412
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