龍の謂れとかたち


謂れかたち

浅草寺観音堂 平成本堂大営繕の龍の絵

通常「浅草寺」と呼んでいるが、正式には「金龍山浅草寺」という
浅草の町を歩いているときに見つけた浅草周辺古地図も加えた

推古天皇36(628)年、隅田川に投網漁をしていた漁師の兄弟の網に一体の仏像がかかり
それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り
深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めた
これが浅草寺のはじまり
大化元(645)年、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立
武蔵国の観音信仰の中心地となる
平安期はじめ、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ
以来、慈覚大師を中興開山と呼んでいる
鎌倉期以降になると将軍自ら帰依、観音霊場として知られるようになった

江戸時代、天海僧正の進言もあって、徳川幕府の祈願所と定められ
いわゆる江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれ、以後の隆盛をみるようになった
【浅草寺のホームページよりより抜粋】

  
石塔                        金龍山の扁額が見える


浅草寺本堂(観音堂)


平成本堂大営繕美観プロジェクト
浅草寺では、本堂が昭和33年に再建されてから2009年に落慶50年を迎えた
本堂の草原を護持するために外壁の営繕と屋根瓦の葺き替え工事をおこなうことになった
期間は平成21年(2009)12月よりおよそ2年間

本堂(観音堂)は全体を仮説用の架構体と養生シートでかこわれている
正面のシートには巨大な龍の絵が描かれている
絵の右側には《平成本堂大営繕美観プロジェクト》と記されている

このプロジェクトをプロデュースしたのは、山本寛斎
本堂の天井に描かれている川端龍子の《龍之図》をモチーフとして描かれている
金色に輝く迫力に圧倒される
厳しい年の幕開けでも元気を得てほしいと言う願いがこめられている
2010年11月まで見ることが出来る
【朝日新聞 2010年1月4日夕刊の記事を参考にした】


浅草寺本堂(観音堂) 全体が囲われている 撮影:10/01/23


金色に輝く龍の絵の全景


龍の頭部の拡大


龍の頭部 夕方の斜めの光線により目が金色に光って見える

100209
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