謂れとかたち
田無神社の倶利伽羅龍王(東京・西東京市田無町)

宿場町としての田無
 
徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、城や町の建造のために大量の石灰(壁の材料)を必要とした
家康はそれを青梅の地に求め、青梅街道を開いた
青梅街道は青梅から箱根ケ崎、さらに田無、中野を経て江戸まで50キロ続いている
 その際に、水が豊で肥沃な幕府直轄領の谷戸に住んでいた田無の人々は
大久保長安の指示に従い、水に恵まれていない1kmほど南の青梅街道沿いに移住した
そして、江戸城や江戸の町作りのための伝馬継ぎとして青梅街道に沿って宿場町を造営した

田無の名前の由来は、田んぼもないほど水に恵まれない、という意味だといわれている


田無神社の由緒
 
田無神社の創立は正応年間(鎌倉期、13世紀)のこと
谷戸の宮山に鎮座し、尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれていた。ご祭神は龍神様
 まず元和8年(1622年)に、宮山に鎮座する尉殿大権現を、上保谷に分祀
正保3年(1646年)に宮山から田無(現在の地)に分祀
寛文10年(1670年)には、宮山に残っていた尉殿大権現の本宮そのものを田無に遷座した
 さらに、尉殿大権現は明治5年(1872年)に熊野神社、八幡神社を合祀し、田無神社と社名を改めた

主祭神
 田無神社と社名を改めた際に主祭神を祀り、現在に至っている

 大国主命(おおくにぬしのみこと)
 須佐之男命(すさのおのみこと
 猿田彦命(さるたひこのみこと)
 八街比古命(やちまたひこのみこと)
八街比売命(やちまたひめのみこと)
日本武尊命(やまとたけるのみこと)
大鳥大神(おおとりのおおかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)


田無神社 入り口 一の鳥居


田無神社 二の鳥居


田無神社 本殿


倶利伽羅不動
 
盤石の上に立つ「宝剣」に「俱利伽羅龍王」が巻き付き
剣を飲み込もうとしている《俱利伽羅不動》は「不動明王」の化身と言われている

本殿正面に倶利伽羅不動が祀られている
本殿の正面からは、頭部を見ることが出来ない


本殿の正面


倶利伽羅龍王  本殿の正面からは頭部が見えない


内部より見る


本殿の正面より見る

内部より正面を見る

内部より斜めに見る


正面より見る

斜めに見る


倶利伽羅龍王 頭部


倶利伽羅龍王を見上げる


倶利伽羅龍王 胴部と爪


内部より後ろ姿を見る


本殿の正面より見る

内部より後ろ姿を見る


上半身と爪

後頭部

田無神社
所在地:東京都西東京市田無町3-7-4
電話:024- 461-4442
170201/200901/201119
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