龍の謂れとかたち


謂れかたち

古墳時代の鏡 盤龍形鏡

東京国立博物館の平成館1階の考古展示室で《日本の考古》開催されている
ここでは考古遺物で、石器時代から近代までの日本の歴史を紹介している
縄文時代の火焔土器や、弥生時代の銅鐸、古墳時代の埴輪などが展示してあり
その中に古墳時代の「鏡」が大量に展示されている
 《鏡》の名称に龍が使われているものがある

《鏡》そのものについて、また《鏡》に関係の深い邪馬台国についても、研究者の考えは統一されていないようだ
一朝一夕にこの時代の全貌を知ることは不可能である
私なりに整理し理解した範囲で、東博での展示の説明の内容を逸脱しないようにして紹介する

 
《日本の考古》の展示(平成館1階の考古展示室)
古墳時代を概観する 政治的社会の幕開けから王権の拡大
 弥生時代の墳丘墓と比べて、規模や構造がはるかに大きく
一般の墳墓とは隔絶した個人のための墳墓を前方後円墳と言う
この大型の前方後円墳の出現と普及をもって古墳時代と呼ぶ
 弥生時代に政治的社会が出現・成立し、群雄割拠の時代を経て成熟していった結果
畿内にヤマト(倭)政権が誕生する
王権が拡大してゆくにしたがって、大和を中心とする前方後円墳が構築され、やがて各地方にも普及してゆく
その時期は邪馬台国の女王卑弥呼が亡くなった後の3世紀の後半、ないしは4世紀の始め頃と考えられている
当時のアジア世界は、朝鮮では馬韓・辰韓・弁韓の三韓時代
中国では魏・呉・蜀の三国が対立する三国時代から、それを統一した西晋時代へと移行してゆく時期である

古墳時代の鏡
 《鏡》は、弥生〜古墳時代には権威のシンボルとして、墳墓に盛んに副葬された
3〜4世紀の古墳には、精巧な舶載鏡(輸入された鏡)やぼう製鏡(国産鏡)が大量に納められ
副葬品の重要な位置を占めている
古墳から出土する中国鏡のほとんどは、後漢時代から六朝時代に造られたものである
 古墳時代の鏡は姿を写す面が表、各種の文様と中央に紐を通す鈕(ちゅう)がある面が裏
名称は文様の違いでつけられている

三角縁神獣鏡
 古墳に副葬された《三角縁神獣鏡》は、断面が三角形の縁と、神獣像を中心とした浮き彫り風の文様を持つことを特徴とする
魏志倭人伝に見るように、邪馬台国の女王卑弥呼が魏(220〜265)に朝貢した年に倭の国に贈られた
景初3年(239年)には、銅鏡100枚、翌年の正始元年にも《鏡》を与えたことが書かれている
現在、その両年の銘のあるものをはじめ500面近くの《鏡》が発見されている

 《三角縁神獣鏡》については、主に3系統の文様(二神ニ獣・四神四獣と陳氏作神獣タイプ)がある
図像の形と配置を少しずつ変化させながら、国産の三神三獣鏡に集約されていった
会場には、《鏡》の種類と変遷を系統的に図解して示してある


盤龍形鏡について
面径12〜16cmほどで、文様は、鈕(ちゅう:中心部の突起)を中心に
内区に、龍と虎が向かい合う配置(竜虎文)の構図をとる
縁に鋸歯文、複線波文を主に用いるもので縁は比較的厚い

盤龍形鏡


盤龍形鏡 古墳時代・4世紀
出土:岡山県備前市鶴山丸山古墳

整理番号:331:8


三角縁竜虎鏡 竜虎の拡大
出土:山口県下松市宮ノ洲古墳
整理番号132:8

100201
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