龍に見立てる:鳥瞰でみる龍のかたち

【メルマガIDN編集後記 第248号 120815】

 今年は辰年。前回までに、吉祥の《四瑞》として、麒麟・鳳凰・亀・龍、《四神の信仰》で鎮護の役を担う神獣として、青龍・朱雀・白虎・玄武(亀と蛇)、十二支と十干について紹介した。今回は《龍に見立てる》という視点で、万里の長城、天橋立、井の頭池と神田川の3つの例を紹介する。


万里の長城 龍頭(東端)の老龍頭から龍尾(西端)の嘉峪関まで
Google Earthにルートを書き込んだ


老龍頭 龍が頭を渤海に突き出して水を飲む

Google Earthより】


天橋立 飛龍観
【写真提供:丹後広域観光キャンペーン協議会】



天橋立 斜め一文字
【写真提供:丹後広域観光キャンペーン協議会】


口を開けた龍に似ている井の頭公園の池
【公園の看板より 写真の天地を逆にしている】


とぐろを巻いた龍が江戸城を守護している
上部を横切るのが神田川 白い丸は東京ドーム
Google Earthより】

万里の長城は巨大な蒼い龍
 中国では、母なる黄河は黄色い暴れ巨龍、万里の長城は巨大な蒼い龍と言われている。
 万里の長城は、中国で外敵防御のために築かれた長大な城壁である。現存する部分の多くが明代(1368-1644年)、その後半期に築造されたもの。東は渤海湾岸の山海関から、中国本土の北辺を西に向かい、北京と大同の北方を経て、南流する黄河を越え、陝西省の北端を南西に抜けて再び黄河を渡り、シルクロードの北側を北西に走って嘉峪関(かよくかん)に至る。

 これまで中国の学界では長城の東端は北京近隣の河北省山海関(天下第一関)、西端は甘粛省嘉峪関(天下第一雄関)というのが定説だった。この間の距離については諸説あるようだが、地図上の総延長約2,700km、あるいはそれ以上といわれ、人類史上最大の建造物とされている。世界大百科辞典(平凡社、1967年初版)では、2,400kmと書かれている。

 グーグルアースに山海関から嘉峪関に至る長城を白線で描いてみた。これはイメージをつかむための概略のルートである。日本列島の長さは、北海道の東北端から西表島まで約3,000kmと言われており、感じを掴んでいただけると思う。
<長さの変更>
 2009年4月18日、中華人民共和国国家文物局は、万里の長城の総延長を従来の6,352kmから8,851.8kmに修正発表した。
 2012年6月5日、同局は、秦代、漢代など他時代を含んで調査したところ、万里の長城の総延長は従来の2倍以上の21,196.18kmであったと発表した。今回、秦や漢などの時代のものも含めて科学的に測量したところ、全長が一気に伸びたという。
<老龍頭>
 老龍頭は山海関のさらに東の渤海に面したところにあり、万里の長城の東の起点であり、龍の頭だと言われている。
 『龍の百科』を書いた池上正治さんは、長城の最東端《老龍頭》を2回訪れている。「最初に行った時は、海岸から20メートルほど離れた場所に高さ約15メートル、断崖絶壁ともいうべき蒼龍の頭があった。
 1993年に再度訪れた時には、一帯はすっかり整備されて、道路もすぐ近くまで通じていた」という。
 池上正治さんは、「一匹の蒼龍が首を渤海に突っ込み水を飲みほさんとしている姿のようでもある」と書いている。

天橋立は龍が天に上る姿を思わせる
 天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6kmの砂嘴(さす:地学上では砂州)。一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。砂嘴の幅は20~170m程。
 成り立ちは今から約4,000年前とされており、丹後半島の東側の河川から流出した砂や小石などの砂礫が海流により流され、天橋立の西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかったことにより、ほぼ真っ直ぐに砂礫が海中に堆積して形成されたと言われている。

 『丹後国風土記逸文』によると、国を生んだ伊射奈芸(いざなぎ)命が天に通うために梯(はし)を作ったが、命が寝ている間に倒れ伏し、天橋立になったという記事があり、これが名の起こりとされている。
 また、神代の昔に神の通い路が海に落ち、龍神が一夜にして土を盛って天橋立をつくり上げたという伝説も残っている。

 天橋立の楽しみ方としては、展望台より天橋立を見入るのが定番。海の中を走る、龍が天に上る姿を思わせるような砂嘴の景観を《飛龍観》という。《飛龍観》については、天に昇った龍が如意宝珠(意のままに願いを叶える宝)を授かり降臨する様=降龍(こうりゅう)に似ているという説もある。
 股のぞき発祥の、北側の傘松公園からの天橋立の眺めの昇龍観は、《斜め一文字》とう名がついていいる。

井の頭池は龍の頭で神田川は龍の胴体
 徳川家康は江戸入府に際して上水道の整備を行い、水源として選んだのが井の頭池であり、その上水路が神田川だった。三代将軍家光がこの池の水は江戸の飲料水の源・上水の頭であることから《井の頭》と命名した。

<井の頭弁財天(弁才天)>
 天慶年間(938-946)に関東源氏の祖・源経基が、弁財天女像をこの地に安置したのが始まり。建久8年(1197)に源頼朝が東国の平安を祈願してお堂を建立した。
 江戸時代になり、家光は寛永13年(1636)に先に焼失した弁財天の宮社を再建した。

 弁財天(弁才天)は、もともとはインドのヒンドゥー教の神様サラスヴァティー、聖なる(豊かなる)河といった意味で、水の神様とされてきた。井の頭弁財天も井の頭池の中に祀られており、水源の守り神、更には芸能・音楽の神として、江戸の庶民の信仰を集めた。農業や穀物の神様である宇賀神と習合して、五穀豊穣の神様として、さらには《才》を《財》に置き換えて、財宝を授ける神様としても崇められている。

 井の頭弁財天の本尊は8本の手を持った八臂像で、頭上に宇賀神を載せ、鳥居を冠している。宇賀神は老人の頭を持った白蛇の形をしており、ここの絵馬は干支に関わらず白蛇の図柄。12年に一度、巳年にご開帳される。

<龍に見立てる>
 井の頭公園の池の形は龍が横を向いて口を開けているように見えることから《龍の頭》とみる。井の頭池を水源として流れる神田川を龍の胴体と見立てる。
 神田川は、三鷹台-久我山-高井戸-東中野-高田馬場-江戸川橋-御茶ノ水-東神田と流れ、両国橋の近くで隅田川にそそぐ。
 神田川の最下流のシッポのあたりがクルリとトグロを巻いて、江戸城のお堀になり龍のパワーで江戸城を守っている。

 これは、《冬水社》の東宮千子社長の《妄想》に書いてあった。龍と水を結び付け、井の頭池に龍のかたちを見、鳥瞰として地形に結び付け、龍が江戸城を守護する、という龍のイメージを創り上げた。面白い見方をする方もいるものだと感心した。

エピローグ

 2007に『関口知宏の中国鉄道大紀行』がNHKの番組として放映された。旅の途中、北京から河北省の渤海(ぼっかい)に面する秦皇島へと向かう。ここでは、万里の長城の東端と言われる老龍頭を、大波に揺れるボートから見る動きの激しいシーンが撮影されていた。私も海から老龍頭を見たいと思うが、かなわぬ夢であろうか。

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