小松 誠一さんの《アクティブシニアのアメリカ・サンディエゴ一人旅》へのオマージュ
【メルマガIDN編集後記 第376号 171215】

 ふれあい広場に小松 誠一さんの《アクティブシニアのアメリカ・サン・ディエゴ一人旅》が掲載されている。第三回は、メキシコのティファナへのショッピングとサンディエゴのダウンタウンでの夕食がテーマとなっている。実は私も1995年11月にサンディエゴを訪れて3泊し、メキシコのティファナにも行った。

サンディエゴ ホテルの中庭での結婚式


IRI(米国工業研究協会)の秋季大会 開催風景


サンディエゴでゴルフを


ティファナのレストラン≪グアダラハラ グリル≫での夕食会



ティファナで買ったカフスボタン


科学技術と経済の会(JATES)の「訪米テクノ・エコノミクス調査に参加
 1966年に設立された科学技術と経済の会(JATES)は創立50周年を迎え、1917年2月14日に記念式典が催された。
 JATESには、1989年から1995年までの間、会社の実務担当の窓口(キーマン)として参加し、各種行事を通して異業種交流を行った。当時のキーマン達がOB会≪TM(テクノマネージメント)研究会≫を結成し、今日まで続いている。年に数回集まり、往時をしのび、今日的話題について議論を重ねている。

 先のヨーロッパの同様の調査から6年後の「訪米テクノ・エコノミクス調査団(1995年10月31日~11月12日)」の一員として米国調査に参加した。調査団の目的は、①米国産業界における国際競争力の急速な回復とその要因、②米国企業のリストラ・エンジニアリング、③米国企業のマルチメディア戦略、CALSの実態、④米国企業におけるベンチマーキング手法の活用状況、⑤IRI秋季大会に参加による、米国R&Dマネージメントの新潮流を知る、という5つだった。

サンディエゴ
 1542年、ポルトガル生まれのスペインの探検家のフアン・ロドリゲス・カブリージョが、スペイン船でロマ岬(Point Loma)に到着し、この地を「サンミゲル(San Miguel)と名づけた。
 植民地開拓に来たスペイン人のセバスティアン・ビスカイノは、1602年11月12日の「サン・ディエゴ・デ・アルカラ」の祭りの日に「サンミゲル」から「サンディエゴ」に町の名前を変更した。これ以来この都市の名前となった。

 米墨戦争の結果、メキシコからアメリカに割譲され、1850年にアメリカ合衆国カリフォルニア州となり、カリフォルニア州の最初の27郡の一つとして始まった。

 サンディエゴはファイタータウンと呼ばれ、映画「トップガン」の舞台になったように、基地の街。海軍や海兵隊の基地が数多くあり、アメリカ太平洋艦隊の基地が設置されている。
 サンディエゴは国境の街として、国境をはさんだメキシコ側のティフアナへは、労働力の安さとアメリカへの輸送性の良さなどを求め、アメリカはもとより日本、韓国、台湾などの企業が工場を設立、駐在員とその家族がサンディエゴ側に生活している。
 現在ではクアルコムなどをはじめとする情報通信関連の企業や、バイオ、製薬、医療機器の企業などが集結しはじめているハイテクの街でもある。

IRI(米国工業研究協会)秋季大会に参加
 サンディエゴでは3日間にわたって開催されたIRI秋季大会に参加した。ここでは、「革新技術で勝利を」を全体テーマとした基調講演、セッション、ワークショップなどが行われた。

ティフアナの散策と夕食会
 ティフアナ (Tijuana) はメキシコ合衆国の最北端、バハ・カリフォルニア州の北部にある州最大の都市で、アメリカ合衆国との国境沿いに位置する都市。
 カリフォルニア州のサンディエゴ市中心部から車で約15分、ロサンゼルスから車で3.5時間程度の距離にある。
 1990年代にメキシコとアメリカ、カナダとの3か国の間に北米自由貿易協定(NAFTA)が締結されて以降、日本やアメリカなどの各種大企業の工場が増加しており、多くの雇用を生んでいる。
 また、古くからの産業としては観光がある、目抜き通りにはアメリカなどからの観光客向けの土産物店やバー、レストラン、安い薬品が建ち並び活況を見せている。

 IRI秋季大会を終えた日の午後から、調査団員の全員がバスでティファナへ行った。国境を超える時にパスポートについてきつく言われた覚えがある。パスポートがないとアメリカへ戻るのに大変なことになると。当時のティハナ街の様子につてはよく覚えていないが、雑然とした街の記憶がある。

 写真に示すカフスボタンはティファナで買ったもの。ティフアナではターコイズ(トルコ石)を使った銀製品が有名である。このカフスボタンを今も夏場によく使っている。少し黒ずんでも磨き布で磨けばきれいになる。
 夕方から調査団員が参加したティファナのレストラン≪グアダラハラ グリル≫での夕食会があり、メキシコ料理を楽しんだ。

エピローグ
 サンディエゴでは、軍港の見えるすぐそばにゴルフ場があり、IRI秋期大会の合間にゴルフを楽しんだ。スライスを打てば、ゴルフ場のすぐそばの道路を越して岸壁に停泊している軍艦に球が飛んでゆくのではないかと心配した覚えがある。

 トランプ大統領が誕生して以来、今日のティファナは、アメリカとメキシコの国境の通過点として注目されている。両国の最も緊密な所のひとつであるサンディエゴとティファナは今後どうなってゆくのであろうか。小松さんが体験したように気軽に行き来することが続くといいのだが。
【生部 圭助】】

上野で出会った龍と仲間たち
編集後記集へ