編集後記集

■カメラの世界遺産 ニコンFを使おう 【NO91 060115】

アサヒカメラ06年1月増大号にニコンFが登場

 「カメラの世界遺産 ニコンFを使おう!」という記事に惹かれて、アサヒカメラ06年1月増大号を買ってみた。「永遠に古びない完全なる一眼レフ」というサブタイトルがついており、「いまさら、ニコンFでもあるまい。そう思った読者は、・・・」という書き出しで赤城耕一氏の解説が始まっている。
 デジタル時代になっても、一眼レフの基本形にして完成形は紛れもなくニコンFであり、デジカメに取り囲まれて身動きが取れなくなっているときに「帰る場所はニコンF」であり、「母なる一眼レフ」である、と赤城耕一氏は思いを述べる。
 次のページには、ニコンFの特徴について説明があり、アサヒカメラの昭和34年(1959)9月号のニューフェース診断室の内容について振り返っている。そこでは、Fの三角プリズムのデザインを評した「亡者のマークの三角布のようで縁起がよくない」と言った木村伊兵衛のエピソードなども紹介されている。

47年前、アサヒカメラのニューフェース診断室を読んで買う気になった
 私は47年前の「アサヒカメラ」を今も大切に保管している。このときのニューフェース診断室では手厳しい評も書かれているが、この時点でニコンFが是非ほしいと思った。当時の学生の身分では高値の花であり、とても手が出ないのは当然、ウインドウを眺め、お店で実物に触らせてもらい思いをつのらせていた。
 東京オリンピックが幸運をもたらした。米軍の宿舎が建っていた代々木のワシントンハイツを選手村にする事になり、米軍の宿舎を壊す前に、建物の図面をトレースするアルバイトの仕事があった。カメラの代金の大半をこのアルバイト代で支払ったが、高かった。当時のカタログによると、F1.4レンズ付き本体の定価が72,100円、速写ケースが2,500円、U型露出計が4,800円。ニューフェース診断室を読んでから3年経っていた。その2年後に社会人になってもらった初任給が25,000円だったと記憶している。

「ニコン党入門」で企業姿勢と製品の系譜を見る  
 書棚の片隅にあった「ニコン党入門」を久しぶりに開いた。昭和58年(1983)に池田書店より発行された新書版(254ページ)によると、日本工学工業(株)の変わらないカメラ作りの姿勢とカメラやレンズの製品群の系譜について詳細に示されている。この本は、日本写真家協会の会長を務めたこともある三木 淳氏の他、日本工学で検査部門を経て相模原製作所の副所長を務めた渡辺 良一氏、フォトコンサルタントの渡辺 澄張晴氏の共著になるもの。
 ニコンFは昭和34(1959)年6月から昭和49(1974)年5月 までの15年間モデルチェンジすることなく一眼レフの王座を占めてきた。1965年に20万台目を生産し、D.D.ダンカン氏(「ライフ誌」の写真家、朝鮮戦争のときにニコンで取材したことが、米国でニコンが広く知られるようになった)に贈呈したことは書いてあるが、最終的に何台生産されたかは書かれていない。当時に一世を風靡したSシリーズの発売時期(SP:昭和32年9月、S3:昭和39年5月)とニコンFの発売時期との前後関係なども知ることが出来た。SPがほしいと思ったけれど高くてとても手が出なかったことを思い出す。
(日本工学工業(株)は1917年に設立され、1988年に株式会社ニコンに社名変更されている)

ニコンFとの長い付き合い
 仕事に趣味に一度の故障もなく伴侶として仲良く過ごしてきた。学園祭で大きく引き伸ばした白黒の写真、京都や奈良で撮った写真、会社に入ってから研究所の暗室で土曜日の午後から深夜までこもったこと、海外出張にも必ず携帯した。先日の海外旅行体験話クラブでの「ニューヨーク空中散歩1982」ではニコンFで撮ったものを皆さんに紹介した。お花を初めて以来、定期的に撮ることになり、ニコンFの活躍の機会が多くなった。

ピレネーでロマネスク様式の教会を撮った
 04年の夏にピレネーへ花とロマネスク様式の教会を見に行った。このときはデジカメとニコンFを携行した。「花を見るのを終わり、これからはロマネスク教会に変わります」とコーディネータの虔之介さんが言い、その手始めにエスクナウの「サン ペール教会」を見たときから、これはデジカメでなくニコンFで撮りたいと思った。
 結局、花の写真と風景はデジカメで撮り、教会についてはフィルムで残すことになった。ストロボも携行していたので、教会の内部の写真もたくさん撮ることが出来た。
 もどってから1年後に紙焼きの写真集も纏まった。紀行文と写真を私のホームページで公開している。これは「ほあぐら さん(メルマガIDN第85号参照)」も見てくれている。

使用したレンズ
 ニコンの一眼レフ用のレンズマウント「Fマウント」はFの発売時期から変わることなく豊富なレンズ群が準備されている。このマウントはデジタル一眼レフにも継承されている。私が使ったことのあるレンズはいずれもマニュアルフォーカス単焦点レンズである。
・標準レンズ50mm F1.4と広角レンズ28mm F2.8を所有し愛用
・望遠の400mm F4は面白いけれどピントの甘さを感じた
・「あおり」付のPCニッコール35mm F3.5(1962年7月に発売)は建築の写真に使用、
 高層の建物の上部が細くならない写 真を撮ることが出来る
・近接撮影用マイクロニッコール55mm F3.5は複写用に使用。接写用のリングも使って、
 海外出張でもらってきたカタログや資料を報告用のスライドにするのに活用した。

ニコンF分解図
 アサヒカメラの06年1月号には、当時のカタログより「Fシステムの完成図」がコピーし掲載されている。システムを構成する付属品が網羅されており、「撮れないものはないといったシステムの充実ぶり」と解説されている。
 私のところに、「NikonF分解図」がある。林 佳次郎さんが2部入手したからと言って送ってくれたもの。CAPA2月号(2003年)臨時増刊 カメラGET! 別冊付録と記されている。新聞紙大の両面印刷されたもので、分解手順も写真付きで示されている。通常見ることの出来ないカメラの内部や部品の一つひとつまで見ることができて興味深い。

デジタル一眼レフとニコンF
 写真撮影の原点は、撮りたい構図とレンズの焦点距離により立つ位置を決め、レンズの深度を想定し絞りを決め、シャッタースピードを決め、フォーカスをしっかりと定め、ぶれないようにシャッターを押す。撮影条件により絞りとシャッタースピードの順序が逆の場合もある。露出計を使うこともあるが、ニコンFで撮影するときはこれらをすべて自分の判断で行う。自動露出・オートフォーカスが開発され撮影はすっかり楽になった。デジカメを使い出してからは、便利ではあるが物足りなく感じることもあり、撮影する時の姿勢がすっかりルーズになってしまった。
 ニコンのデジタル一眼レフにはニコンF用の旧型ニッコールレンズを取り付けることが出来る。その道のプロ達は、最新のデジカメに使用するレンズは新しくそれ用に開発されたものを使用すべき、という意見が大勢を占めるであろう。しかし、アサヒカメラの1月号では、旧型ニッコールはカラーバランスに問題があり、カラー撮影には向いていないが、被写体によっては面白い効果となる場合がある、デジタル一眼レフではホワイトバランスで色補正が出来るから、という意味のことを赤城耕一氏は書いている。
 ニコンの最新のデジタル一眼レフとニコンFの2台を携えて撮影を楽しむことで、新しい世界が開けるような気がしてきたが・・・。
【生部】
 
ピレネーの花の中で                  露出計とストロボを装着
文中の「ニューヨーク空中散歩1982(スライドショウ)」やピレネーの「ロマネスク教会」の写真をご覧になれます。
URL:http://www.ryuss2.pvsa.mmrs.jp/index.htm

「カメラの世界遺産 ニコンFを使おう」余話
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