謂れとかたち
江の島の弁財天童子像

江の島の由緒
 社伝によると、欽明天皇13年(552年)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して 宮を島南の竜穴に建てられ
一歳二度の祭祀この時に始まる」とある
これは、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まりであることが記されている

 江の島は、鎌倉時代のころまでは全島が信仰の対象とされて
みだりに島へ渡ることはできないようになっていたが、江戸時代には弁天信仰の地として栄えた

 突然海底から浮き上がったといわれる江の島の誕生の不思議さと
五頭竜と天女の伝説が語り伝えられることによって、弁才天への信仰がさらに高められてきた

弁財天童子像
「十五童子」を従えた弁財天

縁起に曰く
「欽明天皇十三年卯月十二日戌刻よリニ十三日辰刻に至るまで
江野南海湖水湊口に雲霞暗く蔽いて転地震動すること十日に余れり
諸々の天象龍神水火雷電山神鬼類夜叉羅刹、雲上より磐石をくだし海底より塊砂をふき出す
その後竭雲収まり軽霞まきしりぞいて海上に忽ちに一つの嶋を成せり。即ち江野になぞらえて
これを江野嶋という
天女雲上に顕れ、白龍、十五童子を従え、この嶋上に降居したまえり」

弁財天が江ノ島に祀られることとなりしを伺い知ることが出来る
【現地の説明版より】


弁財天童子像


弁財天童子像の龍


弁財天童子像の龍

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