謂れとかたち
日枝神社の社殿前の燈籠の龍の彫刻

日枝神社の御祭神は大山咋神(おほやまくひのかみ)
日枝神社では江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる
文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり勧請
川越の無量寿寺(現在の喜多院)の鎮守である日吉社を勧請したのがはじまるとされる
徳川家康が江戸に移封したとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした
明暦3年(1657年)明暦の大火により社殿を焼失したため、万治元年(1659年)将軍家綱が赤坂の現在地に遷座した
江戸城から見て裏鬼門に位置する

明治元年(1868年)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定、その後皇城鎮護の神社とされる
大正元年(1912年)には官幣大社に昇格
昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958年)に再建された
昭和53年本殿以下社殿の修繕、境内整備等が実施された
【日枝神社の由緒より要約】

社殿前の左右にある二つの燈籠は同じものに見える
それぞれの燈籠の中台(ちゅうだい)に8個の龍のレリーフが配されていいる
正面を見た龍と振り返っている龍の2種を紹介する
竿の部分に、昭和二十八年十一月吉祥日 一ノ鳥居復興會 とある

上野東照宮の唐門の前にある燈籠(国宝)と基本的には同じ形状である
紋はもちろん、龍のかたち、笠の龍のかざり、宝珠など個別には違いが見られる


社殿正面の手前両側に燈籠がある


左側の燈籠

右側の燈籠

燈籠の上部(左)

燈籠の上部(右)



8個のレリーフの中の2個(左)



8個のレリーフの中の2個(右)

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