謂れかたち
廣尾稲荷神社 拝殿 向拝柱の木鼻(東京・港区南麻布)

廣尾稲荷神社
祭神は倉稲魂神
御神体は木造翁の立像で、商売繁昌、五穀豊穣、火防守護の神として信仰を聚めている

慶長年間(1596〜1615)、徳川二代将軍秀忠が鷹狩の際、この地に休息のため立寄ったと伝えられる
1698年(元禄11年)、徳川将軍家の別荘「富士見御殿」の落成とともに勧請された
当社は、麻布宮村の千蔵寺が別当であったため千蔵寺稲荷とも呼ばれていた
明治42年2月22日、廣尾稲荷神社と改称した
昭和15年、紀元2600年記念事業として氏子崇敬者の寄進により、境内整備が行われ
このときに三基の庚申塔を社殿裏側道路に面した現在地に移転した


廣尾稲荷神社

社殿
木造神明造
1845年(弘化2年)、拝殿が「青山火事」により焼失したが、その後、再建され今日に至っている
関東大震災後の1925年(大正14年)、本殿と幣殿が建造された
境内に建てれていた石鳥居の「再建 弘化四歳丁未九月吉祥日」の銘文より
本殿及び拝殿の造建年代及び天井画の制作時期のおおよそを推定することがでる


廣尾稲荷神社 拝殿正面

拝殿の向拝柱の木鼻
木鼻(きばな)は、頭貫(かしらぬき)の先端が柱より出ている部分のことをさしており
神社や寺院では、本殿や堂の入り口の柱にとりつける
室町時代になると、複雑な装飾を施すようになりました
木鼻には、獅子鼻・貘鼻・龍鼻・雲形花や葉をかたどった植物鼻などがある


拝殿の向拝


向拝柱の木鼻 右(阿形)


向拝柱の木鼻 左(吽形)



向拝柱の木鼻 左(吽形)

広尾稲荷神社
住所:東京都港区南麻布4丁目5
181130/210526

龍の絵馬
拝殿天井 墨絵図

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