謂れとかたち
龍王山勝妙寺本堂の龍の彫刻

龍王山勝妙寺
龍王山勝妙寺は、千葉県中山法華経寺の二代目の住職であった日高上人の命を受けた日厳上人により
正和2年(1313)に創建された日蓮宗の名刹
最初、勝妙寺は松尾山光勝寺の西谷にあった
日蓮宗鎮西総本山光勝寺の院家として、千葉胤貞公・胤泰公の庇護をうけた
四代目日妙上人の時に三日月町藤織の地に胤泰公より境内地並びに田畑を寄進され移転
七世日鏡上人の時、現在の地に再建された

本尊は、釈迦牟尼仏、一塔両尊の勧諸形式
本堂の正面には《勅許》の額が掲げられている
日蓮大聖人直筆の大曼荼羅御本尊(逆縁の曼荼羅、剃髪の曼荼羅)が奉安されている
寺内の墓所には、『葉隠』の述者山本常朝の本家中野家歴代の墓所がある

私事であるが
龍王山勝妙寺は《龍の謂れとかたち》を主宰している、ハンドウネーム《龍》の菩提寺である
2009年9月に法事のために帰省し、《勝妙寺》の山号が《龍王山》であることを始めて知った
幼少の頃より、うちのお寺さんは《勝妙寺》であり、お世話になっている
《勝妙寺》の謂れを知り、龍の彫刻や石燈篭に出会うことが出来たのは奇遇である


龍王山勝妙寺 正面


龍王山勝妙寺本堂 正面


本堂の正面にある龍の彫刻
本堂の正面上部にある龍の彫刻を紹介する


本堂の正面上部にある龍の彫刻


龍の彫刻 金網で保護されている


龍の彫刻 頭部の詳細





時の天皇より下賜された勅額
勝妙寺の住職は、歴代にわたって宮中に仕えた
十五代目の日尖(にっせん)上人の時、時の天皇より勅額(ちょくがく)が下賜された
本堂の入り口に《勅許勝妙寺》と書かれた勅額が掲げられいる


本堂の入り口、龍の彫刻の下に勅額が掲げられいる


勅額


石造山門
石造山門の篆書は、書聖中林梧竹翁によるもの


石造山門


市の重要文化財に指定されている鐘(肥前新鐘)
寺内の墓所には、『葉隠』の述者山本常朝の本家歴代の墓所がある
常朝の従兄弟にあたる中野数馬利明の死去に際し
佐賀藩鍋島光茂、綱茂は冥福を祈り半鐘を献じている(元禄12年作)
この半鐘は龍頭の形式で、肥前新鐘の特色を有している


半鐘は本堂の左手につるされている

半鐘

大曼荼羅御本尊(逆縁の曼荼羅、剃髪の曼荼羅)
大曼荼羅御本尊は、弘安元年7月、日蓮大聖人が57歳の時、日賢授与されたもの
日賢は俗名を依智三郎直重という
依智三郎直重は、人文永8年(1271)9月12日、日蓮の龍口(りゅうこう)法難の時の首打ち役人
日蓮は諸天善神のご加護を得て難を逃れ佐渡へ島流しに
幕府より赦免状が届き、文永12年3月26日鎌倉戻るが、同年5月17日に波木井ノ郷身延山へ入山

龍口法難より八年後、老武士(依智三郎直重)は身延の草庵を訪れる
日蓮大聖人に刃を向けた事を深く懺悔し法華経の信者とならん事を誓い、弟子にと熱望
日蓮は非常に喜び、日賢という名前を授けた
直重はその場で剃髪し出家した
この時に授与された御本尊が勝妙寺に奉安されている
日厳上人が鎮西下向の際、この御本尊を師範日高上人より託されたと伝えられている

龍王山勝妙寺
 山号:龍王山
 寺号:勝妙寺
 住所:佐賀県小城市三日月町織島深川3415
 電話:0952-72-6119

091104
勝妙寺の龍の彫刻や石燈篭へ
唐津と有田2009の目次へ
龍の謂れとかたちのTOPへ