ピーター ポール&マリーの《パフ》は魔法のドラゴン

【メルマガIDN編集後記 第243号 120601】

ピーター ポール&マリー(PP&M)
3人により1961年に結成されたフォーク・グループ
メンバーは、ピーター・ヤーロウ、ノエル・ポール・ストゥーキー、マリー・トラヴァース
1962年にデビュー曲《レモントゥリー》で一躍有名になり、全世界にモダン・フォーク・ブームを巻き起こした

 2009年9月にマリー・トラヴァースが亡くなった
、2012年1月に長年行動を共にしてきたベーシのリチャード(ディック)・キニスが亡くなった
ピーターとポールはサポートプレーヤーのポール・プレストピーノと共にコンサート活動を継続している

フォークソング《パフ》
 《パフ》の歌詞は、1959年にレナード・リプトンが19歳の時
オグデン・ナッシュの詩の一節に影響されて作られた
学友のピーター・ヤロウが歌詞を加えて作曲し、1961年からPP&Mの曲として演奏されるようになった
その後、1963年にレコーディングされ大ヒットした
 日本でも、小学生向けの音楽教科書に掲載され、NHKの《おかあさんといっしょ》で放映された
幼児向け番組でもとりあげられ、親しまれている

歌詞のあらすじ
魔法のドラゴン パフ
霧が立ち込めるホナリー島の海のそばに住んでいた
小さなジャッキーはいたずら好きのパフが大の友達
パフとジャッキーは帆を膨らませた船に乗って旅をした
高貴な王様と王子様は彼らに出会うとおじぎし
パフの前で海賊船は旗をおろした

ドラゴンの命は永遠だけれど
ジャッキーの興味はやがて他に移る
ある暗い夜ジャッキーはとうとう現れなかった
その日からパフは大声で吠えなくなり、悲しみに沈む
友達がいなくては、もう勇気も奮い起こせなくなり
自分の棲家に帰っていった

歌詞の解釈
 フォークソングとしての《パフ》は、ベトナム戦争に関わる反戦歌と受け取られ
マリファナを歌ったもの、ヒッピーの聖歌だという噂もあった
ベトナム戦争において攻撃機を指す米軍スラング(仲間言葉)にもなったという

 この歌には反戦の意味が込められているとして
ジャッキーが 《パフ》の前に姿を現さなくなったのは、ジャッキーが戦争に行ってしまったから
との解釈もなされた

 しかし、1985年10月のナッシュビルにおけるPP&Mの25周年記念コンサートの冒頭部で
ピーターがギターの弾き語りに以下のことを言ってい
「この歌詞の解釈には誤解もあるようで・・・・
子供が成長すれば、無邪気さがなくなる、ただそれだけの意味
生みの親の私が言うのだから確かなこと・・・」

 ジャッキーが《パフ》というドラゴンと知り合い
友達になったが、ジャッキーが成長して大人になり
他に面白いことが出来て興味が他に移り、《パフ》のことを忘れた
というのが正しい解釈とするのは大人の理屈
子供にとってはファンタジーの世界のお話である

絵本『Puff, the Magic Dragon』
 《パフ》には、2007年にこの曲を題材にして出版された絵本がある
ここに紹介するのはハードカバーで表3にCDがはめ込まれている立派な絵本
作者はPeter Yarrow, Lenny Lipton、絵はEric Puybaret
表紙には、百万部を売り上げたとのシールが貼られている
 さだ まさしによ日本語訳の『魔法のドラゴン パフ』が2008年に出版された
(出版:武田ランダムハウスジャパン)

 絵本には、ジャッキーと《パフ》がホナリー島の海のそばで遊んでいる様子
《パフ》とジャッキーが船に乗って出かけた冒険
ジャッキーが現れなくて失意の《パフ》、悲しそうに自分の棲家に帰っていく《パフ》
等々
歌詞に沿って、Eric Puybaretの挿し絵が描かれている


絵本『Puff, the Magic Dragon

絵本『Puff, the Magic Dragon

絵本『Puff, the Magic Dragon』(カバー)

表紙に描かれた《パフ》

表3にCD-ROM 地図にはHonalee島が示されている

歌詞では、ジャッキーが現れなくて、《パフ》は失意のなか、悲しそうに自分の棲家に帰っていく結末である

しかし絵本では、見開きのページが2枚加えられている
そこにはひとりの少女が《パフ》に出会い、楽しそうに遊んでいるシーンが描かれている
そして、各シーンにはの詩が繰り返し記されておいる
  Puff, the magic dragon, lived by the sea.
  And frolicked in the autumn mist in a land called Honalee.


由紀さおりが《パフ》を歌う
 由紀さおりは、小学生から高校生までひばり児童合唱団に所属し、童謡歌手として活躍
NHK歌のお姉さん、アニメの声優、CMソングなどで活躍
1969年《夜明けのスキャット》でデビュー後も女優として映画やドラマへ出演
司会、バラエティなど幅広く活躍
姉の安田祥子とのコンサートは25年続けている

ピンク・マルティーニとの出会い
 ピンク・マルティーニのリーダーのトーマス・M・ローダーデールが
地元ポートランドの中古レコード店で、由紀さおりのファーストアルバム《夜明けのスキャット》を発見した
これが両者の出会いの始まり。
 2010年3月、ピンク・マルティーニの来日公演で両者は初共演
同年11月に出た、ピンク・マルティーニのホリデイ・アルバム《Joy to the World》で
由紀さおりが《ホワイト・クリスマス》を日本語で歌唱

 由紀さおりはそのころ、アルバムの制作を開始していた
《夜明けのスキャット》でデビューした1969年頃に日本や世界でヒットしたポップスや歌謡曲をカバーした
このアルバムのアレンジとプロデュースをピンク・マルティーニに依頼した
 彼らの提案で、世界でヒットしたスタンダード楽曲も加えられ
コラボレーション・アルバム『1969』が完成し世界22カ国で発売された
このアルバムの4曲目に《パフ》も収められている

 両者は2011年3月27日
ポートランドで開催された東日本大震災のチャリティーコンサート《オレゴンから愛》で共演
その後、由紀はピンク・マルティーニのワールド・ツアーに合流し
米国で4都市6公演に出演
2011年12月13日のニューヨークのタウンホールでの公演で8曲を日本語で歌い喝采を受けた
由紀はこのコンサートの第1部で《パフ》も歌った
同年12月20日にポートランドでも協演している

由紀さおりのでポートランドでの《パフ》の映像をこちらでご覧になれます
(残念! アップロードしたユーザーが
、YouTubeアカウントを削除したため、タウンホールの映像を見ることができなくなりました)

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